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君の名は。 感想(ネタバレ有り)

 

ネタバレ前提で感想を書き込みます!!


まだ未視聴の方は、

 

直ちにブラウザバックをお願い申し上げます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、率直な感想。


結論から申し上げまして、大変面白かったです。

 

「転校生」等のお約束である、「思春期男女の入れ替わりもの」という鉄板のギミックを使っている以上、
調理を誤らなければ、まず不味いものは出来上がらないだろうくらいの気持ちで臨んだのですが、
その部分をしっかり満たした上で、更に上質なものに仕上がっており、私は大変満足しました。

もう1回くらい観に行きたいですし、BD出たらたぶんお買い上げしてしまうことでしょう。


ストーリーに関しては公式ページのSTORYの項目をご参照くだされば、

それで十分だと思いますので割愛します。
ちなみに私はこの部分すら前知識として仕入れておりませんで、
「シン・ゴジラ」を観に行った際の予告ムービーに目を通していた程度です。

 


さて、本題。


この作品の根幹を成す、「思春期男女の入れ替わりもの」として、ちゃんと楽しくてよかったなぁ、と。
瀧が三葉の体に入る際、毎回胸を揉んでしまう辺りは、男たるもの分かってしまいますね。

思春期であり、異性であるからこその身体のギャップ、そこから生じるすれ違い、いいじゃないですか。
そうだよこれだよ、このお約束、大好きさ。

その上で、この作品は、入れ替わったままでの接触がない、というのがミソな訳です。

 

なので、二人を繋ぐものは、周囲の反応と、スマホに残された手記等になります。

その関係性が自ずと見えてきた二人は、スマホを媒介にして禁止事項を制定し、
お互いの安息のため、そのルールを守って生活しようとするのですが、
目が届かない故に、お互いがお互い好き勝手な行動をしてしまい、
いつもの日常に変化が立ち表れていって……。

 

と思った矢先に、入れ替わりが起きなくなってしまう。

 

不思議に思った瀧は、薄れていく朧げな記憶に縋りつくようにして風景のスケッチを描き起こし、
写真展で偶然見た景色も合わせて、それらを頼りにしながら三葉へ会いに飛騨へ向かいます。

 

そこに付いてきたのが奥寺先輩と司で、瀧が必死に手がかりを得ようとしている最中、
後ろで観光したり遊んだりしている画の二人は微笑ましく、いいシーンだなと思いました。
その二人だって、様子のおかしい瀧を心配して来てくれているのですしね。
いい人間関係だなと素直にそう思えました。

 

その旅先で、探していた町は糸守町であることを思い出すのですが、
ここで、実は三年前に彗星が落下し、壊滅した町であったことが判明します。
その被害の凄まじさは、3.11を彷彿させるものだったと言ってよいのではないかと思います。

 

三年前の事件のため三葉が亡くなっていることも分かり、瀧は必死に情報を漁ります。
瀧が手首に巻いていた「組紐」に奥寺先輩が気付き、それが呼び水となって、
一葉の言っていた「ムスビ」と「宮水神社のご神体」、「口噛み酒」といったピースが結びつき、
瀧は独り、「ご神体」を目指しました。

 

ようやく辿り着いた「ご神体」を目にして、ただの夢ではなかったことを確信する、瀧。
三葉の「口噛み酒」を一口含むことで、今一度、二人を引き合わせることに。

 

ここの映像がそれはそれは美しくて、魅入ってしまいました。
色彩が豊かで、なんでしょう、貝殻の裏側の真珠層のような鮮やかさで、とても綺麗でした。

 

そして、隕石が落ちる三年前のあの日に入れ替わった瀧は、
町民を避難させるべく、行動を起こします。

 

このあたり勅使河原克彦ことてっしーが有能過ぎて、出来過ぎ、ご都合主義かな感は否めないのですが、
それがどうした面白けりゃいいんだって感じでやり通したのは、個人的には悪くなかったかと思います。
入れ替わりに、時間超越に、ループまでしているのだから、今更何を言っているのとすら我ながら思いますし。

 

町長である三葉父に、隕石落下を訴えるも相手にされない中、
三葉がそこにいることを感じ取り(思い出し? 気付き?)瀧は改めてご神体へ。
辿り着き、声は聞こえるものの、見えない。

だけれども、「カタワレ時」に、入れ替わらない姿のままで、瀧と三葉は初めて出会います。

 

ここの場面は、今までの積み重ねが報われる、素敵な時間でしたね。
あのくだらないやりとりも、最後に名前を忘れないようにと手に書き残した言葉も、
お約束ではあるけれど、それでもやっぱりいいものはいいんだよなーと極まりました。

 

三葉は、取り戻した体で、あの日に戻り、隕石に抗います。
しかしながら物事は上手くいかず、躓いて、転んでしまう。
そのとき、踏み出す力をくれたのは、手のひらに残された「すきだ(好きだでしたっけ?)」の文字。
これじゃあ名前分からないじゃんと洩らしながらも、三葉は再び走り出し、父と向き合う。

 

そして八年後。

 

瀧は就活の真っ最中で、日々の喧騒に埋もれながら、何かを探し求めている。
でも、それが何なのか、分からない。
けれども、間違いなく、衝動としてそれがあることだけは分かる。

 

そんな最中、成長した三葉と再会し、物語の幕が下りる。

 

 

過去の新海誠作品はビターエンドとでも評すべき終わり方が多かったものの、

今回、私は、絶対ハッピーエンドになるだろうと物語が進むにつれ確信していましたし、

ならなかったらネットで呪詛を並べまくる! と心の内で息巻いていました。

 

何故なら、この二人が結ばれないと、誰も納得できないだろうと思ったからです。

何それ、と思われるかもしれませんが、これだけ綺麗に積み木を組み立てていって、

最後に跡形もなく壊してしまうなんて、そんなの絶対勿体ないし、誰も望んでいないことでしょう。

 

これだけ丁寧にいい仕事をしているのだから、その職人の仕上げを信頼しないわけにはいかない。

最後は綺麗に終わると信じて疑いませんでしたよ、私は。

 

新宿での歩道橋ですれ違うシーン、

やきもきしながらも、ここはフェイクだろと見抜いていました。

(脱線しますが、受験生だった時分、予備校に通うためあの歩道橋めっちゃ使っててすげぇ思い入れがあり、

 映ってくれて滅茶苦茶嬉しかったです)

 

ラストの階段で、すれ違うシーンも、絶対振り返ると信じていたし、

実際、そのとおりに振り向いて、瀧は叫んでくれました。

 

もう、なんもいえねぇ。

超気持ちいい。

 

 

 

 

とまあ、ちょいちょい感想挟みながら纏めてみましたが、ざっとこんなもんではないですかね。

 

的外れだったらごめんなさいと先んじて謝っておきますが、
個人的には時と場所を隔てた繋がりのある男女の出会いとなると、
乙一さんの短篇小説、「Calling You」を思い出しました。

 

そして「ご神体」がセーブポイントのような役割を果たす部分では、「CROSS†CHANNLE」、
村(町)全体を救うために時を戻すというのは「ひぐらしのなく頃に」辺りが似ているなと感じました。

 

勿論、更に「入れ替わり」や「彗星」「伝奇」等の要素を多分に盛り込んで、
それでいてコミカルに描きつつ、最後はしっかりハッピーエンドで締めて、それを約100分に凝縮している。

 

何それ、そんなの面白いに決まってんじゃん!
それに新海誠作品の真骨頂の映像美もキレッキレで言うことないじゃん!

 

とは思うのですが、ところどころ他にも思いついたことを挙げていきます。

(私がちゃんと作品を理解していないだけの可能性も多分にあるので、
その場合はご指摘願います)

 


・何故、三年前ないし、三年後だと気付かないのか。

 

スマホの画面にあまり注目していなかったのですが、年月はどうだったのでしょう。
そうでなくとも学校生活を送っているなら、ニュースなり黒板の日付なりで気付きそうなものですが。
お互い心の底ではリアリティのある夢だと高を括っていたのかもしれませんが、それにしても、とは思います。

 

それは元より、三年前のあの日の前日、三葉が会いに来ていて、けれども瀧は三葉が分からなくてすれ違って、
三葉は髪を切るというのはどうにも心が痛かったですね。
組紐を瀧に手渡してしまったからというだけではなく、

てっしーの言うとおり失恋という意味合いもあったのだろうと思われます。
ショートカットも悪くないですが、やはり前のほうがよかったですもんね、あれ。

 

あと、14才の瀧に会ったら幼いんだから流石に気付くっしょ、というネット意見には強く出れませんね……。

確かになぁ。

男子三日会わざれば括目して見よと言いますしね、思春期なら尚更と言えそう。

 

まあ、慌てていたこと、気が動転していたこと、

満員電車内という狭く窮屈であり、また気恥ずかしさから直視できていなかったこと等で、

気付かなかったとしてもギリいけるかなと。

 

時間に余裕があって、落ち着いて考えれば、幾つかの矛盾点に気が付き、

解に辿り着くことも恐らくできた思われるのですが、

瀧に気付いてもらえない傷心の状態で、そこから隕石落下まで一日だけですからね。

そう考えれば、まあ分からんでもないかも? です。

 

 

・何故、瀧だったのか。

 

これって、ちゃんと伏線とか理由があったのに、私が見落としていただけ?
三葉は神社の娘で、口噛み酒の習わし等を行う人物であるため相応しい立ち位置なのですが、
相手が瀧であったことに必然性は存在したのでしょうか。

 

過去に糸守町と何らかの接点を抱えたりしてたのかなと思いつつ、

それらしい描写はなかったよなぁとか。

 

口噛み酒を含んだ、あのタイムスリップするシーンで三葉の組紐があたかも運命の赤い糸のように描かれているので、
絶対的であり、運命的であり、宿命的な相手として、瀧が存在したのだろうとは思われるのですが、
ここまできたら、それが瀧であったことに意味付けをしておいて欲しかったと思います。
(屹然と明確に示されているのに私が気付いていないだけでしたら本当にごめんなさい)

 

 

・父(宮水トシキ)の存在

 

他の方の考察を読んで確かになぁと思いつつ、思い浮かんでいたことを絡めて書きます。

町長である三葉の父に、入れ替わっている瀧が隕石が落下する未来を告げ、取り合ってもらえないシーン。

馬鹿にしやがってだかなんだか瀧が言って、父の胸ぐらを掴み上げる。

その際、父が、「お前は誰だ」と問う。

 

確かに引っかかっていたのですが、いまいちすっきりしないもやもやのままで観終えてしまいました。

けれど、父のこの反応は、過去に中身が入れ替わったことがあり、

だから、すぐさま三葉の入れ替わりに気付いたのではないか、という説を目にして腑に落ちました。

ああ、そうね、その通りですわ。と。

そして自身の読みの浅さに恥ずかしさを覚えました。

 

祖母である一葉も、そしてその娘(三葉の母)も、そういった経験があると洩らしていたことから、

その説は補強されます。

 

断定こそできないものの、過去に父と母が入れ替わり、瀧と三葉のようなことがあって、結ばれた。

それ故、三葉の入れ替わりにすぐさま気付けた。

父と母が入れ替わった当時も時制が食い違ったのであれば、未来を見たという三葉の言葉に説得力が増します。

だから父は元に戻った三葉の言葉を信じ、町民避難に協力した、とすると筋が一本通りますね。

なるほどなるほど。

 

 

・最後の入れ替わりは隕石落下前(未体験)の三葉でないとおかしい?

 

隕石が落下する前の三葉と入れ替わるのであれば、瀧の中に入った三葉は、

当然、隕石が落下する前の三葉なのではないか、という意見を拾いました。

 

それは一つの道理のような気もしますが、

この場合に限って言えば、単なる入れ替わりではなく、

ループまでしていることで、今までとは大きく状況が異なります。

 

宮水神社の「ご神体」の超常的力が奇跡を起こしたとか、

そんな感じじゃないですかね、たぶん。

 

単なるループであっても記憶を保有しているのなら、

三葉は入れ替わっていなくても町民を守るために動くのでしょう。

 

しかしながらループは入れ替わりと同時にしか起こせなかった、

いや、既に死んでいるのだから、外界の瀧側からしか起こせなかったとするのが妥当なのかな。

なんで、整合性はどうだかよく分かんないですけど、

この点に限って言えば、そんなに気にならないなと私は思います。

 

 

・ユキちゃん先生の存在

 

この人、「言の葉の庭」の雪野先生じゃない? 声も花澤さんっぽいし。
と思って観ていたのですが、やはり花澤香菜さんでしたし、
家に帰って読んだパンフレットにも言及があり、雪野先生で確定しました。
好みはあるのでしょうが私はこういうクロスオーバー好きな人なので、ちょっと嬉しかったです。

 

 

てな感じで簡単に思ったことをまとめてみました。
ちょっと書き疲れたのでこの辺で。
改めて新しいことが思い浮かんだら更新するかもです。

 

とにもかくにもとてもよかったので、
皆さんもう一度観に行きましょうね。


ではでは。

 


あ、あと、言の葉の庭の感想はコチラです
同じくネタバレ前提ではございますが、興味がある方は是非合わせてお読みください。

| soemon | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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