お久しぶりでございます。
久々に何かしたためようと思い立ったのは、今更ながら『舟を編む』を読んだからです。
この熱量が冷めないうち、形に留めておきたく、筆を執ってみました。
お付き合い下さると嬉しいです。
あらすじ。(光文社HP引用 http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334927769)
言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを
謳いあげる三浦しをん最新長編小説。
【辞書】言葉という大海原を航海するための船。
【辞書編集部】言葉の海を照らす灯台の明かり。
【辞書編集者】普通の人間。食べて、泣いて、笑って、恋をして。
ただ少し人より言葉の海で遊ぶのがすきなだけ。
玄武書房に勤める馬締光也。
営業部では変人として持て余されていたが、
人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、
辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。
定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、
徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。
個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。
言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく――。
しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか――。
読むに至った経緯はついったーに昨日記しましたので、そのまま引用します。
楽ちんなので。
書店でマンガとラノベを買い求めようとした。前者は見つからず、後者は手に取れた。目的が一巡したのでうろうろしていたら、本屋大賞の特設コーナーに出くわした。そういえば決まったんだっけね。眺めていると昨年の大賞「舟を編む」も並んでいた。気になっていた。手に取った。冒頭を読んだ。買った。
その足で行きつけの中華屋に行き、マーボー飯と杏仁豆腐を頼んだ。どれだけ豆腐好きなの俺!と内心セルフ突っ込みを入れるも、どちらも美味だった。帰り道にスーパー寄って食糧を確保し、帰宅。「舟を編む」を没頭して読んだ。今読み終わった。泣きながら読み終えた。面白かった。すごく面白かった。
「横道世之介」の映画が始まる前の予告で「舟を編む」があり、辞書作りか、面白そうとずっと気になってはいた、いたのだけども、読まずじまいだった。
(↓これのことです)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0kwCc-1o1lc
まあざっとこんな感じですよ。
知っていたのは新しいを辞書を編む、そういう話だってことくらいでした。
実際に手にとって冒頭にふれ、これはいいと思い、迷わずそのままレジへ向かいました。
というのも、言葉に、というか日本語に不思議さ、面白さ、美しさを見出しているひとたちが集まっている作品だと感じられたからです。
私も、一応日本文学科に籍を置き学士となった身ですからね、日本語が好きなんです。
だから、心惹かれたのでしょう。
軽快でユーモラスな文章を読み進めていくと、個性の強い人物が次から次へと。
辞書を編むという行為を起点に、多様な人物が集まり力を尽くしていく。
その過程がとても面白かったです。
ここで大事なのは、辞書を作ることだけではなく、それらを取り巻く人々の在り方、生き方までが描かれている点です。
人生の殆どを辞書に捧げた人たちや、それを支えてきた人。
それを引き継ぐ人、その人をまた支える人。
その人たちにも人生があって、日常を過ごしている。
そういう人たちが時間をかけて作っているんだってことが、この本を読むと伝わってくるのです。
ただ「辞書はこうやって作られるんだよ」といった工場見学レポートみたいな作品ではないのです。
辞書を編みこんでいく間にも、主人公は恋をしたり、会社の都合に振り回されたりもします。
また一番よかったのは、辞書作りの才能を発揮し始める主人公に嫉妬する同僚です。
最初は不真面目で、でもだんだんと辞書作りに愛着が湧いてきた頃、異動を命じられる。
そんな彼を救ったのは主人公のとある一言でした。
その場面はすごくすごく印象深かった。
世の中は主人公だけを中心に世界が回っているわけではなく、
ひとりひとりに人生があり、そしてそれは唯一無二のものです。
誰もが知っている、あたりまえのことです。
でもそれをちゃんと書くのってすごく難しい。
一人の視点から紡がれる物語は矛盾も起きにくく、明瞭で分かりやすい。
それだけに、一方通行的で、視野が狭まる可能性も多い(上手い人はそれを全く感じさせませんが)。
対して多角的に捉え、複数人の人生を描き切りながらひとつにまとめるってのは難しい。
少なくとも私はそう考えていて、だからこそ、それが成り立っている作品には感銘を受けるのだと思います。
同僚の彼にも同じだけの時が流れていて、その中に苦労や挫折や救いや成長があった。
隙がない、と感じました。
勿論、辞書作りの過程も、その場面を想起させるに足る丁寧な言葉選びで、よかったです。
どうよかったのかは是非読んで感じ取って欲しいと思います。
ただひとつ取り上げるならば、これも既についったーで書いてしまったことで重複になるのですが、
製紙会社の人との、辞書に用いる用紙に関してのやりとりが面白かったです。
というのも、私の大学の同期が製紙会社に就職し、そこでの営業話をあれこれ語ってくれていたからです。
それと作中内容が結びついて、個人的に面白かったのです。
まあ友人は板紙の会社で、作中では洋紙、特殊紙といった違いはあったのですが。
てな感じで、思いついた言葉をダラダラ並べるだけの、
いつも通りとりとめのない感想で恐縮ですが、概ね思いの丈を吐き出せたかなと思います。
ただ、最後に苦言を少々。
先にも挙げた「救われた」といった単語が作中に確かに使われてしまっていることが、
個人的には少し気になるというか、ひっかかるというか。
それは、こういった言葉を明確に残してしまうと、それが正解そのものになってしまい、
想像する奥行きを失ってしまうと思うからです。
それは、読者の判断に委ねることじゃないのかなって。
文章から、あるいは行間から、人物の心情を読み取って、汲み取って、推測して、
ああ、この人物はたぶんきっとこの瞬間救われたんだろうな、報われたんだろうなというふうになるのが望ましいと私は思います。
人によっては「救い」以外の言葉、表現、感情を見出すことになるはずですから。
つまり、作者がその登場人物の心情を胸の内で規定するのは自由だと思いますが、
それを読者に強いるのは違うのではないでしょうか? そんな感じですかね。
あくまで私見でしかありませんし、正しいのかすらわからないので、
この辺りは色んな人に投げかけてみて、意見を伺いたいと思います。
ともあれ、素敵な作品にはまず間違いなく、
とりわけ日本文学、国文学にわざわざ進学したような人にとってはより楽しめる作品だと思いますので、
この場でお薦めしておきたいなと思います。是非是非。
P.S.
本を読んだ次の日(というか本日)映画を観てきましたが、
こちらの感想はもう面倒なのと眠くなってきたので、ついったーで代用させて下さい↓
https://twitter.com/soemon
映画に関して数回しかつぶやいていませんが、折りを見て思いついたことを述べるかもしれませんので。
こんな駄文に、ここまでお付き合い下さり誠にありがとうございました。
感謝申し上げます。それでは。
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