始まりの魔法使い 1 〜 5 感想
まず、端的に言って、この作品はとても面白いと思いますので、
あらすじを読んでみたりして、
興味深いと思えたなら、読んでみましょう。
カクヨムで無料で読めちゃうらしいです。
始まりの魔法使い - カクヨム https://t.co/tqcQ9NzI0Q
— 仲江市松 (@soemon) 2019年1月19日
前置き。
何から何を、どう語ろうかすごく悩むのですが、
まずは読み始めた経緯から始めつつ、
本旨である作品の感想を思いついたまま書いていこうと考えております。
なので、ネタバレが嫌な人はご遠慮ください。
ちなみに私は、残念ながら浅学菲才の身の上で、決して聡い人間ではないので、
解釈を履き違え誤読していたり、誤読ではなくても、
与えられていたヒントや伏線を見落としまくっているかもしれません。
(特に本作における魔法や魔術の理論については大雑把にしか理解できていない気がします)
それでも、ただただ思いつくまま、読んだ感想をはき出していきます。
その上でご指摘事項がありましたらご教示願えたらと存じます。
必要に応じて訂正等致します。
ただ、微に入り細を穿つかごとく重箱の隅をつつかれるとつらいので、
はじまほ警察の方々にはお目こぼし願えたらと思います。
本作を読むに至った経緯
少し古い話になりますが、不景気の中、私がなんとか就活を終え、
ギリギリ学生を名乗れていた頃、
某小説投稿サイトで、「魔王の始め方」という作品が投稿されました。
当時の私はランキング上位に挙がってくる作品は大抵目を通していて、
この作品も上位にあがってきたからこそ知ることができたのだと思います。
毎日決まった時間に更新されることもさておきながら、
文章の読みやすさ、ストーリーの緩急、プロットの完成度、
どこをとっても、それはもうよくできていて、
同時期に読んでいた人気作らとは一線を画す、
安定感のようなものを勝手に見出していました。
特にそれを強く感じられたときの私の感想は↓がわかりやすいように思えます。
ラズの記憶を思い出したリルがそれを明かして、オウルをからかうシーンがいいなぁってずっと思っていて、上手く言えないんですけど、あそこにはただ伏線が回収されただけではない、優しくあたたかなものが揺蕩う感じがして、好きですね。
— 仲江市松 (@soemon) 2018年7月23日
これは野生のプロの犯行では……?
みたいな思いを抱きつつ、
気付けば更新を日々待ち望むようになりました。
この作品の第一期、ひとつの節目を終えたとき、
読んでてよかったと、快い読後感に包まれていました。
回想終わり。
そんな作者がイチオシされている石之宮カントさんの「始まりの魔法使い」。
読んだら絶対面白いんだろうなぁと思って、
ファンタジア文庫から刊行される度に買っていました。
でも、買うだけ買って、全然読んでいませんでした……。
これに関しては、深い理由はありません。
仕事が忙しいからとか、なんか気が進まないからとか、
そんな気持ちの延長線上というか、
それを拗らせて疎遠スパイラルに陥ったというか、そんな感じです。
素晴らしき日々とか未プレイのランスシリーズとか、
きちっと買い揃えていて、やったら絶対面白いのがわかっているのに、
未だに積んだままなのと同じです。
いつからこうなっちゃったんだろう。
昔は、その手のコンテンツにとにかく飢えていて、貪欲で。
かじりつくように、貪っていたはずなのにね。
それでも、そんな中でも、
わけもなく機運が高まるときがあります。
その閃きに逆らうことなく身を委ね、名古屋出張の新幹線のお供にしようと、
ビジネスバッグに「始まりの魔法使い 1(初版)」を忍ばせました。
仙台から東京、東京から名古屋と、新幹線を乗り継いで向かう以上、
1冊は読み終えるだろうという算段でした。
案の定、ちゃんと読み終わりました。
ボロ泣きしながら。
今まで読んでこなかったことを後悔し、恥じ入るばかりで、
名古屋駅前のどっかの百貨店に入っている三省堂で2巻と3巻を慌てて買い、
帰りの電車で続きを読もうとしたくらいです。
……読もうとしたんですけれど、
出張先での仕事がまあハードで、帰りの新幹線では頭痛に苛まれ、
買っておいた駅弁すら喉を通らない始末だったので本を読むどころではなく、
お流れ、持ち越しとなりました。
そこから折を見てはちょくちょく読み進め、
4巻が読み終わったのがちょうど新年明けたくらいでした。
年始の休み使って今まさに書いてるような感想をあげるか!と息巻いていたところ、
1月中に5巻が出ると知り、
「じゃあそこまで読んで感想書いた方がよくない?」
と思い直し、どうせ書くならとことんやりたいなと思って、
「1巻から4巻まで改めて読み直し、そのまま5巻に入って感想を書く」
という方向にシフトし、無事読み終えましたので、
そろそろ感想を書きます。
順当に、巻数毎に、まずは思ったことを並べてみますかね。
1 名前の時代
ここから一巻のキャラデザです。 pic.twitter.com/irqbQ5whhK
— 石之宮カント@はじまほ5巻1/19発売 (@Ishinomiyakanto) 2018年2月19日
主人公が転生し、竜に生まれたこと。
しかも原始時代のような文明のない世界であったこと。
エルフの少女に出会い、魔法の学校を建てること。
そういったことが語られ、物語は動き始めます。
そもそも「魔法」とはなんなのかを、
主人公たちは一生懸命解明しようとし、
そして知り得た知識を、生活に還元していきます。
主人公は日本人として生きた一生分の知識があるとはいえ、
この世界の魔法に関してはゼロの状態から、手探りで突き詰めていきます。
この過程が、まず単純に面白くて、上手いなと思いました。
それは、読んでいる読者も一緒になって考えていくことができるからです。
「魔法ってなんだろう」「何が正解なんだろう」って。
既にある知識(専門用語)をただ並べられ、提示されているのではなく、
彼らに寄り添って、肩を並べて学ぶことができるというのは、
この作品世界への没入を、無理なく促すことに成功しているのではないでしょうか。
魅力的なキャラクターの存在も大きく、
コミカルなシーンはちゃんとくすりと笑えるし、
見せ場が各々にきちんと用意されており、いい配分だと感じられました。
そこに立ちはだかる、種族差、寿命の壁。
人としての寿命と竜の寿命には大きな隔たりがありました。
初めての生徒であるアイとの今生の別れに、涙しました。
オチとなる「きっとまたあいにいきます」は、
素晴らしい落としどころだと思いました。
2 言葉の時代
ここから二巻のキャラデザです。 pic.twitter.com/Ky0XpccJhp
— 石之宮カント@はじまほ5巻1/19発売 (@Ishinomiyakanto) 2018年2月19日
いきなり竜歴509年から始まり、度肝を抜かれます。
他種族の留学生を募り、魔法の研究を推し進めながら、
度量衡や時間の単位、西暦にも似た竜歴等を定めていきます。
相変わらず、キャラクターが活き活きしてて、いいですね。
エルフにリザードマンに人魚に、ケンタウロス。
これぞファンタジー世界って感じで。
また、着実に魔法や学校や町が発展していくさまと、
より浮き彫りになる種族間の寿命差・世代交代は、
胸にきしきしとした痛みを継続的に与えてきます。
あとは、この時代の悪役となる白鼠の存在。
アルジャーノンと先生は名づけるわけですが、
当然これは「アルジャーノンに花束」をが下敷きになっているのでしょう。
話し方の不気味さ、合理性を重んじる思考、
可愛さの欠片もない鼠が怖くてすわ恐ろしくて、
いいテキストだったなと思いましたし、
解決手法も納得のいくものでよかったです。
アイとはまた違った、
時を超越するために選択した剣部有記の手段も心に響きました。
3 文字の時代
ここから三巻のキャラデザです。 pic.twitter.com/ZRygib0lgU
— 石之宮カント@はじまほ5巻1/19発売 (@Ishinomiyakanto) 2018年2月19日
今回のヒロインはリンでした。
2巻でユウキが投げたブーケをリンがキャッチし、
「次は、リンの番だね」なんて会話をしてましたけれど、
これ、生きてたんですね、後から思い返して気付きました……。
3巻では大学の設立と、紙の発明。
ハーフエルフの誕生と、水色の死。
リンの若返りと、記憶の喪失。
壁画による輪廻転生の裏付け。
ここらが主だったトピックスだと思われました。
日記が出てきたときは、ああこれ、
間違いなくあとで絶対出てくるやつぅーって思って読んでました。
自動殺人はアリバイを否定できるんだ。
死という強固なアリバイだって同じに。
なんて言葉がとある推理小説にはございますが、手紙や日記も同じで、
装置として完成していれば、その場にいなくたって、
仮に死んでいたとしても、記憶がなくても、
ここぞというときに持ってこれるわけで。
わかって身構えてはいたんですけど、
文章が練られていたので、ちゃんと浸ることができました。
デコつよい。
笑いました。
あんな"優しい年上のお姉さん"っぽいことやってたのに、
そんなこと思ってたのかよ!
と、つっこまざるをえないのはよかったですね。
リンらしさが5文字で表現されている。
ただ、リンが記憶を失っていく過程は、読んでて本当に苦痛でした。
それだけリアリティーのある文章が書けているという証左なのでしょうが、
まあ、つらたんです。
親戚が亡くなったときのことを思い出しました。
最期のほうは、殆ど何も覚えていなかったから。
忘れたくないことさえ忘れてしまうというのは、残酷ですね。
4 魔術の時代
ここから4巻のキャラデザです pic.twitter.com/Ct0p6sZ4uV
— 石之宮カント@はじまほ5巻1/19発売 (@Ishinomiyakanto) 2018年9月21日
精霊の免許制度導入。
魔術の大きな発展。大学勢の成長。
そんなことより何より、
子育てでしょう。
笑うヤカンさんも石之宮カントさんも、
愛妻家であり、子煩悩でいらっしゃることは、
普段のツイッターやあとがきから露骨に伝わってくるというか、
むしろ隠す気なんてさらさらなくて、明け透けで、
素敵だなって思うのと同時に羨ましくあったりして。
そんなこんなの経験が多少は文章に反映されているのではないかと思うのですが、
ニーナの親馬鹿具合がたまらなく魅力的でした。
だからこそ、終盤の、
「この子の母親は、私だけだったのに!」
という台詞が深く胸を打つ。
死んだと思いましたクリュセは。
死んだんですけど、クリュセは。
そして忘れた頃にやってくるアルジャーノン。
匂わせていたとはいえ、まさかこんなところで拾ってくるとは。
蚊帳の外だと思い込んでいたからこそ、結構な絶望感があり、楽しめました。
また、地球は宙の彼方に存在するらしいことが判明しました。
同じ時代なんでしょうか。
何光年離れているのでしょうか。
今後に期待したいと思います。
5 始まりの時代
始まりの魔法使い五巻、明日発売です。よろしくお願いします!https://t.co/rDodxdEnIj
— 石之宮カント@はじまほ5巻1/19発売 (@Ishinomiyakanto) 2019年1月18日
他の竜の存在が今まで以上にフューチャーされていたように感じました。
最初のほうに出てきた雷竜のギルタから、
なんとなくどこぞのレッサーデーモンを彷彿とさせる気さえしました。
竜殺しの英雄アイシャというミスリード、
普通に引っかかりました。
この人なの、かなぁ……? くらいには。
でもまさかアイが白竜になっていたとは。
赤竜を愛した彼女であったなら、
先生が人間から竜になったと知っていたのだから、
何度目かの人生の果てに竜となって生を受けたことは、
ある意味必然だったのかもしれませんね。
その強固な「縁」を前に、
ニーナは今まで堰き止めていた想いを吐露する。
千年以上も寄り添ってこれたこと、
そこに生半な気持ちなんてあるはずがなかった。
それを読者は皆知っていた。
知っていたから、もどかしくてしんどくて仕方なかったのだけれど、
ようやく、告白してみせた。
かなりシリアスな場面ではあるものの、
心の中でスタンディングオベーションで拍手している私がいました。
先生とニーナの関係が深まったことから、
ユウカはユウキにの記憶を引き継がせなかった。
結果、ユウキの想いは途絶えてしまったと思い込んでいたわけですが、
石剣に宿った魔力を元に、記憶と経験を取り戻すという展開は胸熱でした。
リンが全ての記憶を取り戻し、
寿命も持ち直してるっぽいのは、すみません、あまり理解しきれていません。
今までの誓約が丸ごと魔法の代償(対価)となったことで、
これまで以上に魔力が増大し、
それを以って寿命に還元できるようになった的な解釈でいいのでしょうか。
力さえあれば、イニスのように力ずくで寿命は延ばせるっぽいので。
そんでまた最後の最後に出てきました、アルジャーノン。
アルジャーノンに花を持たせすぎではありませんか。
しかも尋常じゃなく強くなってるし。
それをアイが一発で仕留めてしまうのもなかなかに無茶苦茶に思えつつ、
スカっとはしましたね。
白竜(氷竜)としての力と、元々の適正と、
文字どおり愛の力に依るものだとすれば、一先ずは納得できますし。
最後に、アイ。
「せんせいを――」
「おねがいしますね、ニナさん」
ニーナさんではなく、二ナさんと呼んだことから、記憶の残滓のようなものはあったのでしょう。
先生にアイと呼ばれることを好意的に受け止めていることからも、
何かを待ち続けているといった台詞からも、それは窺い知ることができます。
何度も読み返してみましたが、記憶を既にほぼ取り戻していて、
それでもニーナに認められるまで黙っていた、というわけではない感じがしますね。
ここら辺は、本当になんとなくなんですけど。
約束の地、帰るべき場所、先生の家を覚えていて、
壁画を残した過去もあることからすると、
転生を繰り返す度、記憶は段々と摩耗していったと考えられ、
この場合の、アイの真名を知り、記憶を託されたニーナの役割は、
セーブポイントみたいなものだったのかなぁと。
だとするならば、ニーナが叫んだ「ヒイロ!」というアイの真名は、
「ふっかつのじゅもん」みたいなものだったのではないでしょうか。
ここまで部分部分を見て、脈略なく言葉を並べてみましたが、
ここから先は、全体を通しての感想に移りたいと思います。
結論、
全然ライトノベルじゃない。
軽くないんですよ、この作品。
重厚というか、へびぃなんですね、全体的に。
ライトノベルなんていう曖昧な括りで比べるのもどうかとは思いますが、
例えば、出会ってひと突きで絶頂除霊!を読んでるときとは感触がまるで違うわけですよ。
冗談はさておき、1巻を読み終えた後、
滅茶苦茶面白いやんけ!と思ったのと同時に、
某18禁小説投稿サイトに載っている「亜種王」という作品を想起しました。
あちらはエロをメインとした洗脳系の作品ですので、
全然違うと言われればそれまでなのかもしれませんが、
種族間の寿命さに絶望して、それを解決する手段を模索して、
それでも叶わずに終わるというストーリーに、若干近しいものを感じました。
そんなことを思って久し振りにアクセスしてみたら、
メインエルフキャラの一人がニーナで、こんな偶然もあるんだなと思ってみたり。
話を戻します。
何を隠そう、この作品を読み終えて真っ先に思い浮かんだ言葉があります。
それは、「ずるい」です。
この作品世界において、長寿種の存在が圧倒的過ぎるというものがあります。
人に比べたら、竜もエルフも永遠にも等しい時間を生きていくことができるのです。
現状、その点についてあまり明確な解説は示されていてないように感じます。
そういう種族なのだから、そうだとしか言えない、みたいな。
ゾウガメが100年以上生きるように、500年以上生きる貝が存在するように。
その寿命の差から生じる出会いと別れのドラマ。
これは間違いない、ですよね。
「ずるい」ですよね。
竜歴0年から連れ立った読者を、何年も先の未来へ引きずり込んで、
哀しみの感情を共有させるなんて。
それも一回ぽっきりじゃない、
何度も、必然的に。
そういった世界を完全に構築してしまっている。
ときにはあるんですよ。
ここぞというときに、
メインキャラクターが交通事故に遭って死亡しましたとか、
そこまではいかずとも大怪我を負って、今までのように体を動かせないといった展開。
現実的に、ないとは言えないじゃないですか。
誰にだって不平等に、不幸が降りそそぐことはありうる。
運悪く通り魔に殺されてしまうかもしれない、不注意で人を轢いてしまうかもしれない。
世界のどこかでそういった事件は毎日のように起きていて、
それが物語の人物に起きたってなんら不思議はない。
なんら不思議はないのだけれど、
そこからは作者の都合が、物語の要請が、透けて見えてしまう。
ぶっちゃけ、
すごく萎えるんですよ。
でも、この作品は、そうじゃない。
寿命差からくる別れを納得させるだけの世界を作り上げているし、
それだけではなく、ダルガやアルジャーノンが襲ってくるときも、
筋道がしっかりしていて、納得のできる論理が組まれ、
折り目正しい落差でもって、物語が紡がれている。
魔王の始め方からも感じていた、緩急の巧みさ、プロットの構成力が、
この作品でも遺憾なく発揮なされていると、感じられました。
それら全部をひっくるめて「ずるい」って思っちゃう。
「するい」くらい、よくできている。
つまり、すごく面白いんですよ、この小説は!
といった感じでまとめっぽく仕上げてしまいましたが、
まだ書き足りないので、何事もなかったかのように続けます。
一番気になるのは結局、
この世界の「魔法」ってなんだろうってことなんですよね。
この世界の魔法は、名前でできていた。
から始まり、次に、「意味」と「意志」と「意図」に必要性が説かれます。
ただ、詠唱を破棄しても魔法は使えるので、
「意味」と「意志」だけでも使えるといった説明があります。
しかし、当初、息をするだけで火を吹いてしまうように、
あるいはルフルの無意識に発揮されていた「巨人の力」のように、
または、ものを食べ、呼吸をし、生きていくことさえ、
この世界そのものが魔法である、といった考えすら提示されます。
全てが魔法に通ずるのであれば、
竜やエルフの寿命も、魔法が関わっていそうです。
高い知能も、博覧強記と称して差し支えない記憶力も、
言うなれば高い魔法力で、無意識的に補っているのではないか、
というふうに考えても、そんなにおかしくはないのかな、なんて思います。
何千年も生きていたら、いくら竜やエルフで人間とは別物なんだとしても、
脳のキャパシティ超えそうじゃないですか。
そうなっていないんだとしたら、そこには理屈があって欲しいところ。
無意識的にクラウドストレージみたいなものを魔法で作ってて、
そこに考えた瞬間アクセスしてるとか。
戯言ですけれど。
対して人間は、進化の過程で、寿命よりも学習力の高さに重きをおき、
いずれ竜にも届きうる牙を磨く道を選んだ、とか。
妄想ですけども。
イニスの不老の術の話とかも気になりますね。
イニスは意図的に成長を止めることで延命しているようですが、
それでも記憶や知識に障害はなく、新たな発見や学びを得ることができている様子。
その点は何らかの手段を講じていると考えたほうが自然のように思えます。
話が逸れますが、このときにイニスが説いた可塑性の話が、
どこにどう行きつくのかは全く思い至らず、悶々としてしまいます。
ともあれ、魔法で寿命を補っている、もしくは補うことが可能であるとするならば、
記憶や知識を力に変え、強者となったユウキやリンが、
寿命の先延ばしに成功しても、違和感はないのかもしれません。
そんなこんなの、万能めいた魔法ではありますが、
5巻終盤で魔法の力が極端に弱まり、
この先は、より悪化、深刻化するらしいとも示されており、
ますます目が離せないと言いますか、続きが楽しみでなりません。
話をぶった切って、
ここで、気になったことを少しだけ並べます。
■転生した人(?)は他にもいるのか。
主人公だけが必ずしも特別だったり、チートだったりしないって話は、
わりかし見かけるパターンです。
似た境遇の存在が敵になることもあれば、味方になることもあるでしょうし、
実はもう既に会っているのかもしれません。
ただ、この世界における真名はかなり力を有しているようで、
先生の母親である赤竜は、生まれたばかりの我が子に名前をつけてしまったら、
きっと、あなたの元々の名前は押しつぶされてしまう、といったことを仰いました。
これが真だとすると、仮に同じように転生した人物がいたとしても、
新たな名前を授かることで、塗りつぶされてしまい、
前世の記憶を引き継ぐことはできなかった、と考えられます。
アイやユウキの場合は、転生や記憶の継承を自ら望んでいたことから、
魔法により魂が保護され、上書きされることはなく、
そのままの魂であったり、本来の魂と共存できていたとすれば、
矛盾はしないように思われます。
■先生の転生は偶然なのか
アイの転生を可能にしたのは、
彼女の強い意志に基づく魔法の力だと思われますが、
人であったときの先生は魔法を使えず、また、
正直言って、死後の世界や転生などというものは殆ど信じていなかった。
と述懐していることからも、意志らしい意志はなかったと推定されます。
本人の力でないとしたら、偶然の産物なのでしょうか。
あるいは、他者の手によるものなのでしょうか。
世界の造物主だとか、神などと呼ばれるべき存在が、
何かしらの意図をもって、仕組んだのでしょうか。
疑問は尽きません。
■巻末のエピソードは先生じゃなくなる
先生の一人称で基本的に話が進んでいきますが、
巻末の最後のエピソードは、
毎回ヒロインの一人称となり、視点が変わります。
個人的には視点が変わって、
見え方が変わる話は好きなので、いいよねって話です。
それだけです。
■ニーナは心が読めるの?
先生の考えが手に取るように、
まるで魔法のように"わかってる"描写が多いです。
以心伝心と言えばそれまでなのかもしれませんが、
最早超能力レベルで、ミリ単位で正確に把握してるっぽい。
先生の心限定で見抜く魔法編み出してても
不思議じゃなさそう。
■紫さん……。
思わせぶりな紫さん。
あっしの掴んだニュアンスですと、
全部ガチっぽいという判定が下されております。
先生のことをかなり恋慕していたのではないか、感。
どっちにもとれるように書いといて曖昧に終わらせる系、
昔から苦手なんですよね。
……それ、本読むのに向いてなくない?
最後に。
改めて、作者はファンタジー作品が好きなんだろうなって思いました。
多くの作品にふれ、吸収して、
自分なりのファンタジー世界を丁寧に構築していいるのだろうと、
広範な知識や、設定の作り込み等、端々から感じられるから。
文章自体は飾りつけるふうではなく、無駄のない印象。
淡々と紡いでいく。
どこかハードボイルドな感じすら受けます。
それなのに、感情の機微なんかはきっちり描いてくるんですよね。
本当に無駄がないというか、隙がないというか。
まあ、巧い。
強いて不満を挙げるなら、その無駄のなさ具合でしょうかね。
必要な要素を必要な分だけ書くといった、理詰め感がないこともない。
メタ的ですけど。
一気に竜歴とばしちゃうところとか。
もっと合間にあれこれあってもいいんじゃないかなって思わなくはないんですけど、
後でスピンオフだとか番外編で挿入しようと思えばいくらでもできちゃう辺り、
そこも計算めいてて、なんか手のひらの上にいる孫悟空気分。
竜歴6050年が明示されている以上、まだ続くと思われますので、
当面はまだこの世界に浸っていられそうで嬉しい限り。
続きを楽しみにさせていただきたい旨を残しつつ、
一先ずはここらで一旦筆をおきたいと思います。
それでは。
※書こうと思ってて忘れたことがそれなりにありそうなので、
そのうち加筆やら修正やらする可能性があります。
一回一回がほどよい文章量で、ページを捲る手を止める瞬間が掴めない珠玉のエッセイ集です。
山内マリコ先生の文章は笑っちゃうくらい読みやすくて、暑い日の素麺みたいにするするいけてしまう。
けれどもそれは決して、底が浅いからとか、そんな理由ではなくて、無駄な描写がなく洗練されているから。
くどさのくの字も見当たらない。
また、共感能力がとても高い御方だとお見受けします。
例えば無印良品。無印良品に対して一般人が持つブランドイメージ、
シンプルで使い勝手がいい、無個性であることが個性、けれどどこか物足りなさもある、
そんな印象をそのまま、文章に落とし込めている。
固有名詞のイメージを純度百パーセントで還元しながら文章を盛り立てて行ける。
その語感センスに私はすわ恐ろしさすら抱きます。
読んでいて、とにかく楽しいんですよね。
気取ったところがなく軽妙な筆致なのだけれども、
つるつる上滑りするのではなく、ちゃんとした深みと重みはきっちり存在していて。
だから今作の主軸であるお買い物、そしてそれを通しての生き方が活き活きと伝わってくる。
自分もそれ気になる、欲しい!と思わせてしまう。
ただライフスタイルダダ漏れで明け透けなだけの文章ではこうはならないと思います。
しっかりと地に足が着いた御方が、変に背伸びもせず肩肘張らずに、
ほどよい目線で、日々の暮らしを丁寧に紡がれているからこそ、
共感がそこかしこから湧いてくるのではないでしょうか。
特に20代・30代の女性には、より強い共感・シンパシーが得られるかと思いますので、
その年代の女性陣には是非お手に取って頂きたく存じます。
と、昨日深夜2:30に読み終えたエッセイ集の感想を簡単に書きました。
こういうのは直ぐに書いておかないと熱量を失ってしまうものですからね。
とはいえ、このエッセイ集に限らず、私は今、山内マリコ先生の文章にめっさハマっています。
駅前の書店で気紛れに小説すばるを立ち読み(そして流し読み)していたら、目に留まった文章が。
それが『あのこは貴族』という連載もの。
地元へ帰省した女性の心情の描写や、変わっていく地方への憐憫といったものが、
それはもうお上手で、こんな文章を書ける人がいるのか!と感心してすぐさま脳内にメモりました。
(買えよ)
家に帰って、R-18文学賞を受賞されていること、
大阪の芸大(映像学科)を出ていることなどの情報を抑えつつ、
デビュー作『ここは退屈迎えに来て』をAmazonでポチりました。
これがまた、すごく面白い。
ロードサイド文学などと呼ばれているらしいのですが、まあ私がここであれこれ並べ立てるよりも、
本を直に読んで生で摂取して欲しいなぁと思ってしまいます。
今でこそ仙台市におりますが、私は生まれも育ちも東京です(23区ではない)。
そんな私が何故、この地方に不満を抱き、けれどもそこから抜け出せない女性の小説を味わえるのかと言えば、
それは両親の実家が宮城県で、幼少期から夏休みや冬休みの殆どを宮城県で過ごしていたからでしょう。
それも仙台のような都会ではなく、旧田尻町だったり、石巻の外れだったりと辺鄙な田舎でしたから。
作者は富山県の出身だそうですから、
私の抱くそれと寸分狂いがないなんてことはありえないのでしょうけど、
どの地方にも共通項としてあがる原風景や問題が、
女性らしい感性と眼差しの文章から具に立ち表れてくるため、深く感じ入ることができるのだと思います。
これはね、読んでおいて間違いはないと推せますよ。
実際、最近は読書の話題になったとき、山内マリコ先生の名ばかり出してますもの。
でも残念ながら殆どの方がご存知でない。
惜しい。惜し過ぎる。
勿体ない!
この前、4月頭に所用で上京した際、大学の同期とご飯をご一緒しました。
彼は私なんかより遥かに読書家で、いつも己の浅学菲才さを思い知らされるのですが、
そんな彼に山内マリコ先生の話題を振ったら、案の定、読み込んでいて、
お互いの思うところをそれぞれ語ることが出来、それはもう有意義な時間でした(少なくとも私的には)。
彼は『パリ行ったことないの』のタイトルを褒めていたと記憶しています。
確かに胸に刺さる、ストレートさがありますよね。
ただ、そのとき私はまだ、
『ここは退屈迎えに来て』を新幹線で読みかけていたんだか読み終えたばかりだったかの辺りで、
他の作品は読み込めていなかったので、彼には申し訳ないことをしてしまったなと思っています。
次会うときまではもう少し読み込んでいたいですね。
文庫本になっていた『アズミ・ハルコは行方不明』は読了。
単行本の『かわいい結婚』『パリ行ったことないの』『さみしくなったら名前を呼んで』は、
先週近くの本屋でそれぞれ初版で置いてあり、高いなと躊躇いつつ、
結局一気買いしました(3冊で5,000円近かった……)。
読み終わったら、また感想書けたらいいなと思います。
もう日付が変わってしまいましたね。
明日はお仕事、うぅ。
ゴールデンウィークも終わり、祝日は海の日までお預けですか。
5月病を治す特効薬、誰か作ってくれませんかね?
たぶんノーベル賞もらえるよ。
お久しぶりでございます。
久々に何かしたためようと思い立ったのは、今更ながら『舟を編む』を読んだからです。
この熱量が冷めないうち、形に留めておきたく、筆を執ってみました。
お付き合い下さると嬉しいです。
あらすじ。(光文社HP引用 http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334927769)
言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを
謳いあげる三浦しをん最新長編小説。
【辞書】言葉という大海原を航海するための船。
【辞書編集部】言葉の海を照らす灯台の明かり。
【辞書編集者】普通の人間。食べて、泣いて、笑って、恋をして。
ただ少し人より言葉の海で遊ぶのがすきなだけ。
玄武書房に勤める馬締光也。
営業部では変人として持て余されていたが、
人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、
辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。
定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、
徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。
個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。
言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく――。
しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか――。
読むに至った経緯はついったーに昨日記しましたので、そのまま引用します。
楽ちんなので。
書店でマンガとラノベを買い求めようとした。前者は見つからず、後者は手に取れた。目的が一巡したのでうろうろしていたら、本屋大賞の特設コーナーに出くわした。そういえば決まったんだっけね。眺めていると昨年の大賞「舟を編む」も並んでいた。気になっていた。手に取った。冒頭を読んだ。買った。
その足で行きつけの中華屋に行き、マーボー飯と杏仁豆腐を頼んだ。どれだけ豆腐好きなの俺!と内心セルフ突っ込みを入れるも、どちらも美味だった。帰り道にスーパー寄って食糧を確保し、帰宅。「舟を編む」を没頭して読んだ。今読み終わった。泣きながら読み終えた。面白かった。すごく面白かった。
「横道世之介」の映画が始まる前の予告で「舟を編む」があり、辞書作りか、面白そうとずっと気になってはいた、いたのだけども、読まずじまいだった。
(↓これのことです)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0kwCc-1o1lc
まあざっとこんな感じですよ。
知っていたのは新しいを辞書を編む、そういう話だってことくらいでした。
実際に手にとって冒頭にふれ、これはいいと思い、迷わずそのままレジへ向かいました。
というのも、言葉に、というか日本語に不思議さ、面白さ、美しさを見出しているひとたちが集まっている作品だと感じられたからです。
私も、一応日本文学科に籍を置き学士となった身ですからね、日本語が好きなんです。
だから、心惹かれたのでしょう。
軽快でユーモラスな文章を読み進めていくと、個性の強い人物が次から次へと。
辞書を編むという行為を起点に、多様な人物が集まり力を尽くしていく。
その過程がとても面白かったです。
ここで大事なのは、辞書を作ることだけではなく、それらを取り巻く人々の在り方、生き方までが描かれている点です。
人生の殆どを辞書に捧げた人たちや、それを支えてきた人。
それを引き継ぐ人、その人をまた支える人。
その人たちにも人生があって、日常を過ごしている。
そういう人たちが時間をかけて作っているんだってことが、この本を読むと伝わってくるのです。
ただ「辞書はこうやって作られるんだよ」といった工場見学レポートみたいな作品ではないのです。
辞書を編みこんでいく間にも、主人公は恋をしたり、会社の都合に振り回されたりもします。
また一番よかったのは、辞書作りの才能を発揮し始める主人公に嫉妬する同僚です。
最初は不真面目で、でもだんだんと辞書作りに愛着が湧いてきた頃、異動を命じられる。
そんな彼を救ったのは主人公のとある一言でした。
その場面はすごくすごく印象深かった。
世の中は主人公だけを中心に世界が回っているわけではなく、
ひとりひとりに人生があり、そしてそれは唯一無二のものです。
誰もが知っている、あたりまえのことです。
でもそれをちゃんと書くのってすごく難しい。
一人の視点から紡がれる物語は矛盾も起きにくく、明瞭で分かりやすい。
それだけに、一方通行的で、視野が狭まる可能性も多い(上手い人はそれを全く感じさせませんが)。
対して多角的に捉え、複数人の人生を描き切りながらひとつにまとめるってのは難しい。
少なくとも私はそう考えていて、だからこそ、それが成り立っている作品には感銘を受けるのだと思います。
同僚の彼にも同じだけの時が流れていて、その中に苦労や挫折や救いや成長があった。
隙がない、と感じました。
勿論、辞書作りの過程も、その場面を想起させるに足る丁寧な言葉選びで、よかったです。
どうよかったのかは是非読んで感じ取って欲しいと思います。
ただひとつ取り上げるならば、これも既についったーで書いてしまったことで重複になるのですが、
製紙会社の人との、辞書に用いる用紙に関してのやりとりが面白かったです。
というのも、私の大学の同期が製紙会社に就職し、そこでの営業話をあれこれ語ってくれていたからです。
それと作中内容が結びついて、個人的に面白かったのです。
まあ友人は板紙の会社で、作中では洋紙、特殊紙といった違いはあったのですが。
てな感じで、思いついた言葉をダラダラ並べるだけの、
いつも通りとりとめのない感想で恐縮ですが、概ね思いの丈を吐き出せたかなと思います。
ただ、最後に苦言を少々。
先にも挙げた「救われた」といった単語が作中に確かに使われてしまっていることが、
個人的には少し気になるというか、ひっかかるというか。
それは、こういった言葉を明確に残してしまうと、それが正解そのものになってしまい、
想像する奥行きを失ってしまうと思うからです。
それは、読者の判断に委ねることじゃないのかなって。
文章から、あるいは行間から、人物の心情を読み取って、汲み取って、推測して、
ああ、この人物はたぶんきっとこの瞬間救われたんだろうな、報われたんだろうなというふうになるのが望ましいと私は思います。
人によっては「救い」以外の言葉、表現、感情を見出すことになるはずですから。
つまり、作者がその登場人物の心情を胸の内で規定するのは自由だと思いますが、
それを読者に強いるのは違うのではないでしょうか? そんな感じですかね。
あくまで私見でしかありませんし、正しいのかすらわからないので、
この辺りは色んな人に投げかけてみて、意見を伺いたいと思います。
ともあれ、素敵な作品にはまず間違いなく、
とりわけ日本文学、国文学にわざわざ進学したような人にとってはより楽しめる作品だと思いますので、
この場でお薦めしておきたいなと思います。是非是非。
P.S.
本を読んだ次の日(というか本日)映画を観てきましたが、
こちらの感想はもう面倒なのと眠くなってきたので、ついったーで代用させて下さい↓
https://twitter.com/soemon
映画に関して数回しかつぶやいていませんが、折りを見て思いついたことを述べるかもしれませんので。
こんな駄文に、ここまでお付き合い下さり誠にありがとうございました。
感謝申し上げます。それでは。
「ゴールデンタイム 1 春にしてブラックアウト」感想。
竹宮ゆゆこさんの最新作。
手を付けたと思ったら、その日の内に読み終えてしまいました。
色んなところで絶賛されていますが、
個人的にはこのお方の纏めが丁寧で分かりやすいかなと思っています。
概ね、上記のサイトにある感想を眺めてもらえばどういった内容かは理解して頂けると思います。
ですので、僕は、僕自身の感想をしたためようかなと。
少し被るところがあるかもしれませんが、それはそれでご容赦ください。
あらすじを眺めて最初に思ったのは、
また超絶美少女キャラがヒロインなのね、でした。
それ自体に異論がある訳ではありません。
竹宮さんの書く女の子の描写は、とても細やかで丁寧で、真に迫るものがありますし。
服装やメイク等のファッションに関しては、流石女性だなと感心させられますしね。
その上、主人公が男でもちゃんと男の心情を上手に描けているから脱帽なんですが。
ただ、そっかーと思っただけです。
実際に読んでて見えて来た構図は、
「とらドラ スピンオフ2! 虎、肥ゆる秋」における、
春田と美大生との関係だった気がします。
美人なあの人には想い人がいるけれど、
傍らにいて、支えてあげるようなポジションがなんとなく。
ひたむきに頑張っている人の姿を間近で見ていたら、
そりゃあ惹かれていくものもあるでしょうし。
ただ、個人的に引っ掛かったのは、香子が完全体と称した状態ですね。
幾ら本人を前にすると上手く行かなくなるにしても、ああいう感じにはならないような……。
とらドラ!の大河みたいにあがっちゃうくらいならよく分かりますが、
ああも豹変しますかね、ちょい疑問。
恋敵の靴を想い人の目の前で踏んで威圧はしねーよ……
なんて思っちゃったのは僕だけでしょうか。
あとは、名簿を燃やすシーン等における、お嬢様離れしたスキル。
ここら辺は今後なんらかの形で回収されるのかなと期待。
意外と庶民の味も好んでいたり、人(主人公の境遇とか)を慮ることが出来たり、
おまけんに恩義を感じていたりと光央さえ絡まなければいい子っぽいんですよね、香子。
つーかうん、いいよーもう付き合っちゃえよ、お前らさー。
続刊ではもうろべろべなデートでもしてろよ、くそ! くそ!
とかなんとか思っていたら、リンダ先輩との繋がりが浮上してきて、
意味深長な展開で1巻が終わってしまいました。
何これヤバい続きが超気になるYO!!
閑話休題。
脈略なく好き勝手書いてきましたが、今回一番惹かれたのは、
「美人だったら自動的に好きになれるのかよなわけねえだろ」って光央が言った部分です。
今回もまた超絶美少女キャラがヒロインなのね、なんて思っていた己が恥ずかしいです。
竹宮さんの作品には確かに美少女が出てくることが多いのですが、
それだけで惹かれて恋仲になるって過程は存在しないんですよね、たぶん。
たまたま好きになった人が美少女だっただけ。
ていうのは言い過ぎかもしれませんが、ちゃんと相手を見て、見つめて、
そして好きになっていくという流れが、
読者にちゃんと伝わるような描き方をしているなと常々思うのです。
いい。
あっと美少女美少女と連呼してましたが、
香子は基本的に美人と表記されてますね(見落としあるかもですが)。
大河や亜美ちゃんは美少女とされていたはずなので、
この区分は単純に女子高生と女子大生の違いでしょうか?
それとも香子は見た目年齢がちょい上なのかな?
亜美と大して立ち位置変わんなそうに思うのですけど。
他に思うところとしては、大学生活の描写が巧いこと。
大学に関して特に具体的なモデルはないとあとがきで記されていますが、
どうしたって、自身が過ごした大学をモデルにするんじゃないかなーと想像。
大学構内の様子や、授業中の雰囲気、入学式の不安やら期待感やら、熱烈なサークル勧誘、
どれを取っても現役大学生の身の上としてはあるあるで、
「ほへー」とアホ面で感嘆の声を洩らしてしまうほど。
これは大学行ってないと書けない文章だと思います。
もし仮に行かずして書いてたら凄過ぎて泣けてきます、たぶん。
なんであれ、大変楽しく読めましたので、続刊に期待しています。
主人公の過去なんかが早く明かされて欲しいなぁ。
先行き不透明過ぎてね、気になりますね、本当。
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