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世界でいちばんNGな恋 ネタバレなし感想

 

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まずはいつものように、ネタバレをしない方向で記事を書きます。

 


歳の差カップルホームコメディADV第2弾

 

と公式が謳っているので、そこは明かしてよいのでしょう。

主人公は三十路一歩手前の28才(作中で29才を迎える)。
そしてメインヒロインは女子○学生。

 

おう……そいつは確かにNGですわ……。

あらすじについては公式ページのとおりなので割愛致します。


この作品は話数が存在し、
話が進む度にOPが挿入され「第何話 サブタイトル」と示されます。

 

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第13話くらいまであるので、
つまりこれはアニメやドラマの1クールを意識した作りと思われます。


そういったものに触れて育ってきた私のような人間にとっては、

親しみやすく、入りやすい構造だと感じられました。

 

そもそもこの手のエロゲーというジャンルは、学園ものが非常に多く、
そうでなくとも思春期真っただ中の、ティーンエイジャーが主人公となりやすいです。

 

需要がそこにあるからと言えばそれまでなのですが、
残念な脳味噌をしている私なりにその理由を考えますと、
別名美少女ゲームとも呼ばれるエロゲーには、美少女が必須要件の不可欠事項と言えます。

 

そんな美少女との接点をなるべく違和感なく構築し、
あまつさえ、えっちぃことをする上では、主人公も似たような境遇であることが望ましいからです。

 

流石に40、50のオッサンが、美少女らに自然と好かれていくというのは無理がありますし、
共感もされにくいことでしょう。

 

だからこそ、主人公とヒロインは同じような立ち位置、
同じような目線で、寄り添うように描かれることが多いのではないでしょうか。

 

(まあ凌辱ゲーだとか抜きげーなんかはそういった縛りに囚われていない印象ですけどね)

 

とはいえ、その手のものはありふれ過ぎているのです。
使い古され過ぎたネタである以上、よほど上手く調理しないと、
あれ、これ、どっかで見たことある? なんてことになりかねません。

 

だから私は、社会人が主人公ってだけでも、冒険していると感じますし、
興味が持てて、面白そうだと思えてしまうんですよ。

 

本作は、実を言えば発売前からチェックはしていましたし、
当時プレイした友人はとても褒めていたように記憶しています。
しかしながら、実際にプレイするまで十年くらい経過しています。
何故なのか、私にもよくわかりません……。
受験生だったからかなぁ……。


ともあれ、プレイしてみると、そこはご高名な丸戸史明氏のシナリオ、面白いです。
会話が軽妙な筆致でさくさく読めるのに(特に怒涛の名古屋と岐阜のご当地ネタ、掛け合いが好きでした)、

 

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締めるところは締めて、魅せるところは魅せる魅せる(画像を出したらネタバレになるので割愛します……)。

 

難しい話はどこにもないのに、深みはあるという。口あたりのいい日本酒のような味わい。
エンターテイナーってこういう人を指すんだろうな、と。

 

内容も内容なだけに、このままドラマになるんじゃないかってくらい。
作中で野島伸司の『高校教師』に触れていたのは印象深かったですね。

 

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着地点やテイストは異なるものの、方向性だけ見れば似通っているのは確かでしょうから。

これと『未成年』は、やはり凄い作品だと個人的に認識していて、
よくお茶の間に流れていたものだなと感心します。大好きですけどね。

 

加えて申し上げるならば、WHITE ALBUM2の姿が不意にちらつくことでしょうか。
これはネタバレありのほうで言及したいと思います。

 

あとはー、音楽面がもっと充実していると更によかったですかね。
もう数曲BGMにレパートリーがあったらいいかな。
これ最高っていう曲もなかったのは残念。

ボイス面は文句なしに素晴らしかったんですけどねぇ。
脇役勢含め、掛け値なしによかったですよ。

 

 


総括。

噂に違わずやって損なし。
WHITE ALBUM2よりはずっとコミカルで明るい雰囲気なのでオススメしやすいですね。


ネタバレあり感想では、各√毎に感想をまとめ、
総評としたいと思います。今暫くお時間をください。

 

それでは、また。

| soemon | 18:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
小林有吾先生のサイン会に参加してきました!

 

ご無沙汰しております。

 

今回は去る5/13に小林有吾先生のサイン会のため、

横浜にある書店の有隣堂様まで行ってきましたので、その記念的な意味を込めまして、

久方振りに更新することとしました。

 

最終更新日が259日前だそうです。

本当にお恥ずかしい。

 

それはさておき、まずサインをどーん。

 

 

 

 

アオアシのサイン会なのに水の森のジャンヌと、鳥さんと、てんまを描いてもらえました。

 

ご尊顔を拝して、サインさえもらえればそれでいいと思っていたのに……。

ありがたや、ありがたや。

 

ジャンヌ大好きなので、心底嬉しかったです。

食べたいものを訊かれて、みそラーメンと答えるところとか、最高じゃないかと。

 

かくいう小林先生は、なんというか、格好良くて爽やかで、好青年って感じの御仁でした。

アオアシなら栗林に似ていたような……(あくまで個人の感想ですが)。

 

 

そして何より驚いたのは、仙台から来たと私が申し上げたら、

「仲江さんですか」と仰ってくださったこと。

 

どうやらツイッターなりで応援コメントを残していたのを見知っていたらしく、

「お会いできるとは思っていませんでした。嬉しいです」と握手して頂きまして。

 

まさかこんなところでちまちまやっている私なんかをご存知だとは露程も思っていなかったため、

感極まってしまって、それはもうしどろもどろ。

「……光栄です(ボソッ)」みたいな。

いい年した大人がみっともなく、いやはやお恥ずかしい。

 

しかもショート・ピースを単行本化して欲しい的なことを言ったら、

これこれこうして単行本になりますよ、といったことを編集者らしき方からご丁寧にご説明を受けたのですが、

家に帰って調べたらもう既に小林先生のブログで公表されている……。

 

穴があったら入って、もう二度と出てきたくないんですけど……。

 

 

ともかく、私は小林有吾先生の作品が大好きで、

そんな作品を作られた作者の方とこうしてお会いでき、

お話ができて、しかもサインと握手まで。

決して大袈裟な表現ではなく、ただ純粋に、

夢のようなひとときでした。

 

このような特別な機会を設けてくださった、

小林先生、小学館様、有隣堂様、その他関係者の方々には深く感謝申し上げます。

ありがとうございました!

| soemon | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
君の名は。 感想(ネタバレ有り)

 

ネタバレ前提で感想を書き込みます!!


まだ未視聴の方は、

 

直ちにブラウザバックをお願い申し上げます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、率直な感想。


結論から申し上げまして、大変面白かったです。

 

「転校生」等のお約束である、「思春期男女の入れ替わりもの」という鉄板のギミックを使っている以上、
調理を誤らなければ、まず不味いものは出来上がらないだろうくらいの気持ちで臨んだのですが、
その部分をしっかり満たした上で、更に上質なものに仕上がっており、私は大変満足しました。

もう1回くらい観に行きたいですし、BD出たらたぶんお買い上げしてしまうことでしょう。


ストーリーに関しては公式ページのSTORYの項目をご参照くだされば、

それで十分だと思いますので割愛します。
ちなみに私はこの部分すら前知識として仕入れておりませんで、
「シン・ゴジラ」を観に行った際の予告ムービーに目を通していた程度です。

 


さて、本題。


この作品の根幹を成す、「思春期男女の入れ替わりもの」として、ちゃんと楽しくてよかったなぁ、と。
瀧が三葉の体に入る際、毎回胸を揉んでしまう辺りは、男たるもの分かってしまいますね。

思春期であり、異性であるからこその身体のギャップ、そこから生じるすれ違い、いいじゃないですか。
そうだよこれだよ、このお約束、大好きさ。

その上で、この作品は、入れ替わったままでの接触がない、というのがミソな訳です。

 

なので、二人を繋ぐものは、周囲の反応と、スマホに残された手記等になります。

その関係性が自ずと見えてきた二人は、スマホを媒介にして禁止事項を制定し、
お互いの安息のため、そのルールを守って生活しようとするのですが、
目が届かない故に、お互いがお互い好き勝手な行動をしてしまい、
いつもの日常に変化が立ち表れていって……。

 

と思った矢先に、入れ替わりが起きなくなってしまう。

 

不思議に思った瀧は、薄れていく朧げな記憶に縋りつくようにして風景のスケッチを描き起こし、
写真展で偶然見た景色も合わせて、それらを頼りにしながら三葉へ会いに飛騨へ向かいます。

 

そこに付いてきたのが奥寺先輩と司で、瀧が必死に手がかりを得ようとしている最中、
後ろで観光したり遊んだりしている画の二人は微笑ましく、いいシーンだなと思いました。
その二人だって、様子のおかしい瀧を心配して来てくれているのですしね。
いい人間関係だなと素直にそう思えました。

 

その旅先で、探していた町は糸守町であることを思い出すのですが、
ここで、実は三年前に彗星が落下し、壊滅した町であったことが判明します。
その被害の凄まじさは、3.11を彷彿させるものだったと言ってよいのではないかと思います。

 

三年前の事件のため三葉が亡くなっていることも分かり、瀧は必死に情報を漁ります。
瀧が手首に巻いていた「組紐」に奥寺先輩が気付き、それが呼び水となって、
一葉の言っていた「ムスビ」と「宮水神社のご神体」、「口噛み酒」といったピースが結びつき、
瀧は独り、「ご神体」を目指しました。

 

ようやく辿り着いた「ご神体」を目にして、ただの夢ではなかったことを確信する、瀧。
三葉の「口噛み酒」を一口含むことで、今一度、二人を引き合わせることに。

 

ここの映像がそれはそれは美しくて、魅入ってしまいました。
色彩が豊かで、なんでしょう、貝殻の裏側の真珠層のような鮮やかさで、とても綺麗でした。

 

そして、隕石が落ちる三年前のあの日に入れ替わった瀧は、
町民を避難させるべく、行動を起こします。

 

このあたり勅使河原克彦ことてっしーが有能過ぎて、出来過ぎ、ご都合主義かな感は否めないのですが、
それがどうした面白けりゃいいんだって感じでやり通したのは、個人的には悪くなかったかと思います。
入れ替わりに、時間超越に、ループまでしているのだから、今更何を言っているのとすら我ながら思いますし。

 

町長である三葉父に、隕石落下を訴えるも相手にされない中、
三葉がそこにいることを感じ取り(思い出し? 気付き?)瀧は改めてご神体へ。
辿り着き、声は聞こえるものの、見えない。

だけれども、「カタワレ時」に、入れ替わらない姿のままで、瀧と三葉は初めて出会います。

 

ここの場面は、今までの積み重ねが報われる、素敵な時間でしたね。
あのくだらないやりとりも、最後に名前を忘れないようにと手に書き残した言葉も、
お約束ではあるけれど、それでもやっぱりいいものはいいんだよなーと極まりました。

 

三葉は、取り戻した体で、あの日に戻り、隕石に抗います。
しかしながら物事は上手くいかず、躓いて、転んでしまう。
そのとき、踏み出す力をくれたのは、手のひらに残された「すきだ(好きだでしたっけ?)」の文字。
これじゃあ名前分からないじゃんと洩らしながらも、三葉は再び走り出し、父と向き合う。

 

そして八年後。

 

瀧は就活の真っ最中で、日々の喧騒に埋もれながら、何かを探し求めている。
でも、それが何なのか、分からない。
けれども、間違いなく、衝動としてそれがあることだけは分かる。

 

そんな最中、成長した三葉と再会し、物語の幕が下りる。

 

 

過去の新海誠作品はビターエンドとでも評すべき終わり方が多かったものの、

今回、私は、絶対ハッピーエンドになるだろうと物語が進むにつれ確信していましたし、

ならなかったらネットで呪詛を並べまくる! と心の内で息巻いていました。

 

何故なら、この二人が結ばれないと、誰も納得できないだろうと思ったからです。

何それ、と思われるかもしれませんが、これだけ綺麗に積み木を組み立てていって、

最後に跡形もなく壊してしまうなんて、そんなの絶対勿体ないし、誰も望んでいないことでしょう。

 

これだけ丁寧にいい仕事をしているのだから、その職人の仕上げを信頼しないわけにはいかない。

最後は綺麗に終わると信じて疑いませんでしたよ、私は。

 

新宿での歩道橋ですれ違うシーン、

やきもきしながらも、ここはフェイクだろと見抜いていました。

(脱線しますが、受験生だった時分、予備校に通うためあの歩道橋めっちゃ使っててすげぇ思い入れがあり、

 映ってくれて滅茶苦茶嬉しかったです)

 

ラストの階段で、すれ違うシーンも、絶対振り返ると信じていたし、

実際、そのとおりに振り向いて、瀧は叫んでくれました。

 

もう、なんもいえねぇ。

超気持ちいい。

 

 

 

 

とまあ、ちょいちょい感想挟みながら纏めてみましたが、ざっとこんなもんではないですかね。

 

的外れだったらごめんなさいと先んじて謝っておきますが、
個人的には時と場所を隔てた繋がりのある男女の出会いとなると、
乙一さんの短篇小説、「Calling You」を思い出しました。

 

そして「ご神体」がセーブポイントのような役割を果たす部分では、「CROSS†CHANNLE」、
村(町)全体を救うために時を戻すというのは「ひぐらしのなく頃に」辺りが似ているなと感じました。

 

勿論、更に「入れ替わり」や「彗星」「伝奇」等の要素を多分に盛り込んで、
それでいてコミカルに描きつつ、最後はしっかりハッピーエンドで締めて、それを約100分に凝縮している。

 

何それ、そんなの面白いに決まってんじゃん!
それに新海誠作品の真骨頂の映像美もキレッキレで言うことないじゃん!

 

とは思うのですが、ところどころ他にも思いついたことを挙げていきます。

(私がちゃんと作品を理解していないだけの可能性も多分にあるので、
その場合はご指摘願います)

 


・何故、三年前ないし、三年後だと気付かないのか。

 

スマホの画面にあまり注目していなかったのですが、年月はどうだったのでしょう。
そうでなくとも学校生活を送っているなら、ニュースなり黒板の日付なりで気付きそうなものですが。
お互い心の底ではリアリティのある夢だと高を括っていたのかもしれませんが、それにしても、とは思います。

 

それは元より、三年前のあの日の前日、三葉が会いに来ていて、けれども瀧は三葉が分からなくてすれ違って、
三葉は髪を切るというのはどうにも心が痛かったですね。
組紐を瀧に手渡してしまったからというだけではなく、

てっしーの言うとおり失恋という意味合いもあったのだろうと思われます。
ショートカットも悪くないですが、やはり前のほうがよかったですもんね、あれ。

 

あと、14才の瀧に会ったら幼いんだから流石に気付くっしょ、というネット意見には強く出れませんね……。

確かになぁ。

男子三日会わざれば括目して見よと言いますしね、思春期なら尚更と言えそう。

 

まあ、慌てていたこと、気が動転していたこと、

満員電車内という狭く窮屈であり、また気恥ずかしさから直視できていなかったこと等で、

気付かなかったとしてもギリいけるかなと。

 

時間に余裕があって、落ち着いて考えれば、幾つかの矛盾点に気が付き、

解に辿り着くことも恐らくできた思われるのですが、

瀧に気付いてもらえない傷心の状態で、そこから隕石落下まで一日だけですからね。

そう考えれば、まあ分からんでもないかも? です。

 

 

・何故、瀧だったのか。

 

これって、ちゃんと伏線とか理由があったのに、私が見落としていただけ?
三葉は神社の娘で、口噛み酒の習わし等を行う人物であるため相応しい立ち位置なのですが、
相手が瀧であったことに必然性は存在したのでしょうか。

 

過去に糸守町と何らかの接点を抱えたりしてたのかなと思いつつ、

それらしい描写はなかったよなぁとか。

 

口噛み酒を含んだ、あのタイムスリップするシーンで三葉の組紐があたかも運命の赤い糸のように描かれているので、
絶対的であり、運命的であり、宿命的な相手として、瀧が存在したのだろうとは思われるのですが、
ここまできたら、それが瀧であったことに意味付けをしておいて欲しかったと思います。
(屹然と明確に示されているのに私が気付いていないだけでしたら本当にごめんなさい)

 

 

・父(宮水トシキ)の存在

 

他の方の考察を読んで確かになぁと思いつつ、思い浮かんでいたことを絡めて書きます。

町長である三葉の父に、入れ替わっている瀧が隕石が落下する未来を告げ、取り合ってもらえないシーン。

馬鹿にしやがってだかなんだか瀧が言って、父の胸ぐらを掴み上げる。

その際、父が、「お前は誰だ」と問う。

 

確かに引っかかっていたのですが、いまいちすっきりしないもやもやのままで観終えてしまいました。

けれど、父のこの反応は、過去に中身が入れ替わったことがあり、

だから、すぐさま三葉の入れ替わりに気付いたのではないか、という説を目にして腑に落ちました。

ああ、そうね、その通りですわ。と。

そして自身の読みの浅さに恥ずかしさを覚えました。

 

祖母である一葉も、そしてその娘(三葉の母)も、そういった経験があると洩らしていたことから、

その説は補強されます。

 

断定こそできないものの、過去に父と母が入れ替わり、瀧と三葉のようなことがあって、結ばれた。

それ故、三葉の入れ替わりにすぐさま気付けた。

父と母が入れ替わった当時も時制が食い違ったのであれば、未来を見たという三葉の言葉に説得力が増します。

だから父は元に戻った三葉の言葉を信じ、町民避難に協力した、とすると筋が一本通りますね。

なるほどなるほど。

 

 

・最後の入れ替わりは隕石落下前(未体験)の三葉でないとおかしい?

 

隕石が落下する前の三葉と入れ替わるのであれば、瀧の中に入った三葉は、

当然、隕石が落下する前の三葉なのではないか、という意見を拾いました。

 

それは一つの道理のような気もしますが、

この場合に限って言えば、単なる入れ替わりではなく、

ループまでしていることで、今までとは大きく状況が異なります。

 

宮水神社の「ご神体」の超常的力が奇跡を起こしたとか、

そんな感じじゃないですかね、たぶん。

 

単なるループであっても記憶を保有しているのなら、

三葉は入れ替わっていなくても町民を守るために動くのでしょう。

 

しかしながらループは入れ替わりと同時にしか起こせなかった、

いや、既に死んでいるのだから、外界の瀧側からしか起こせなかったとするのが妥当なのかな。

なんで、整合性はどうだかよく分かんないですけど、

この点に限って言えば、そんなに気にならないなと私は思います。

 

 

・ユキちゃん先生の存在

 

この人、「言の葉の庭」の雪野先生じゃない? 声も花澤さんっぽいし。
と思って観ていたのですが、やはり花澤香菜さんでしたし、
家に帰って読んだパンフレットにも言及があり、雪野先生で確定しました。
好みはあるのでしょうが私はこういうクロスオーバー好きな人なので、ちょっと嬉しかったです。

 

 

てな感じで簡単に思ったことをまとめてみました。
ちょっと書き疲れたのでこの辺で。
改めて新しいことが思い浮かんだら更新するかもです。

 

とにもかくにもとてもよかったので、
皆さんもう一度観に行きましょうね。


ではでは。

 


あ、あと、言の葉の庭の感想はコチラです
同じくネタバレ前提ではございますが、興味がある方は是非合わせてお読みください。

| soemon | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
素敵な彼氏 1巻の感想



『青空エール』が完結したと思ったらすぐさまの新連載、流石です。







この作品は、カレシが欲しいのに、これまで出来たことのなかった女の子が、
とある男の子に惹かれ始めていく、といったガールミーツボーイです。

なんというか、少女マンガのラブコメの王道を、今風にしただけの作品といった印象です。
その上、別にファンタジー要素も、転校生も、入れ替わりや生き別れたなんちゃらといった特別設定もない。
はっきり言って普通なんです。どこにも転がっている日常とさえ、思える。
なのに、面白い。読ませる、読まさせられる。

これは尋常じゃなくすごいことだと思うんですよ。
最初の導入部で即カレシが欲しいという目的を明確にして、惹きつけて、
そこからあっという間に、現在の状況や主人公の性格、友人をさらさらっと紹介。
で、インパクトのある男の子登場。更に畳みかけて物語は先へ先へと走り出す。

何この巧みさ?
立て板に水といった淀みのなさ。

作者の河原和音先生の短編集なんかを読んでても感じるのですが、
この方の少女マンガ力には脱帽しかないんですよね。
だって、どれ読んでも面白いんですもん。

キャラの引き立て方や話の構成力もさることながら、
ここぞというときの台詞・モノローグの切れ味、これでしょう。

『素敵な彼氏』だったら、
彼がケーキの上に乗ってるチョコを食べてるときの、



「くち 大きいな」といった、ほんのちょっとした主人公の吐露に、
キャラクターの個性というか、視点がちゃんとあって、
活き活きと感じられるというか、息遣いが聞こえてくるというか。
(バイト時のあかぎれに気付いてフォローしてくれる辺りなんかも素晴らしい)

まあ『友だちの話』に収録されていた『その彼、調べます』の「歯ならびいいなー」を思い出したからなんですけどね。
あれ、すごいよかった……。





ちと脱線してしまいましたが、とにかく巧いとしか言えないんですよ。
応援したくなる女の子や魅力的な男の子の描き方なんかは特に。

ただ、よすぎるが故に、疑念も発生してしまう。
こんなに素敵な女の子ならば、中高の男子はほっとかねーべ、と。

これはもう少女マンガの宿命的なところなんで、
最早突っ込むのは野暮なんでしょうがね。

変身シーンになぜ攻撃しないで待ってるの? みたいなレベルなのかも。
結局今は素敵な彼と出会って、なんかいい感じっぽくなってますしね。

ともあれ、まだ1巻、まだ4話。
この作者の力量ならまだまだ話は続いていって、
素敵な物語を紡いでくれることでしょう。

続きが楽しみでなりません。
| soemon | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
山内マリコ節に酔う
『買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて』

一回一回がほどよい文章量で、ページを捲る手を止める瞬間が掴めない珠玉のエッセイ集です。
山内マリコ先生の文章は笑っちゃうくらい読みやすくて、暑い日の素麺みたいにするするいけてしまう。
けれどもそれは決して、底が浅いからとか、そんな理由ではなくて、無駄な描写がなく洗練されているから。
くどさのくの字も見当たらない。

また、共感能力がとても高い御方だとお見受けします。
例えば無印良品。無印良品に対して一般人が持つブランドイメージ、
シンプルで使い勝手がいい、無個性であることが個性、けれどどこか物足りなさもある、
そんな印象をそのまま、文章に落とし込めている。
固有名詞のイメージを純度百パーセントで還元しながら文章を盛り立てて行ける。
その語感センスに私はすわ恐ろしさすら抱きます。

読んでいて、とにかく楽しいんですよね。
気取ったところがなく軽妙な筆致なのだけれども、
つるつる上滑りするのではなく、ちゃんとした深みと重みはきっちり存在していて。

だから今作の主軸であるお買い物、そしてそれを通しての生き方が活き活きと伝わってくる。
自分もそれ気になる、欲しい!と思わせてしまう。

ただライフスタイルダダ漏れで明け透けなだけの文章ではこうはならないと思います。
しっかりと地に足が着いた御方が、変に背伸びもせず肩肘張らずに、
ほどよい目線で、日々の暮らしを丁寧に紡がれているからこそ、
共感がそこかしこから湧いてくるのではないでしょうか。

特に20代・30代の女性には、より強い共感・シンパシーが得られるかと思いますので、
その年代の女性陣には是非お手に取って頂きたく存じます。


と、昨日深夜2:30に読み終えたエッセイ集の感想を簡単に書きました。
こういうのは直ぐに書いておかないと熱量を失ってしまうものですからね。


とはいえ、このエッセイ集に限らず、私は今、山内マリコ先生の文章にめっさハマっています。
駅前の書店で気紛れに小説すばるを立ち読み(そして流し読み)していたら、目に留まった文章が。
それが『あのこは貴族』という連載もの。

地元へ帰省した女性の心情の描写や、変わっていく地方への憐憫といったものが、
それはもうお上手で、こんな文章を書ける人がいるのか!と感心してすぐさま脳内にメモりました。
(買えよ)

家に帰って、R-18文学賞を受賞されていること、
大阪の芸大(映像学科)を出ていることなどの情報を抑えつつ、
デビュー作『ここは退屈迎えに来て』をAmazonでポチりました。





これがまた、すごく面白い。
ロードサイド文学などと呼ばれているらしいのですが、まあ私がここであれこれ並べ立てるよりも、
本を直に読んで生で摂取して欲しいなぁと思ってしまいます。

今でこそ仙台市におりますが、私は生まれも育ちも東京です(23区ではない)。
そんな私が何故、この地方に不満を抱き、けれどもそこから抜け出せない女性の小説を味わえるのかと言えば、
それは両親の実家が宮城県で、幼少期から夏休みや冬休みの殆どを宮城県で過ごしていたからでしょう。
それも仙台のような都会ではなく、旧田尻町だったり、石巻の外れだったりと辺鄙な田舎でしたから。

作者は富山県の出身だそうですから、
私の抱くそれと寸分狂いがないなんてことはありえないのでしょうけど、
どの地方にも共通項としてあがる原風景や問題が、
女性らしい感性と眼差しの文章から具に立ち表れてくるため、深く感じ入ることができるのだと思います。

これはね、読んでおいて間違いはないと推せますよ。
実際、最近は読書の話題になったとき、山内マリコ先生の名ばかり出してますもの。

でも残念ながら殆どの方がご存知でない。
惜しい。惜し過ぎる。
勿体ない!


この前、4月頭に所用で上京した際、大学の同期とご飯をご一緒しました。
彼は私なんかより遥かに読書家で、いつも己の浅学菲才さを思い知らされるのですが、
そんな彼に山内マリコ先生の話題を振ったら、案の定、読み込んでいて、
お互いの思うところをそれぞれ語ることが出来、それはもう有意義な時間でした(少なくとも私的には)。

彼は『パリ行ったことないの』のタイトルを褒めていたと記憶しています。
確かに胸に刺さる、ストレートさがありますよね。



ただ、そのとき私はまだ、
『ここは退屈迎えに来て』を新幹線で読みかけていたんだか読み終えたばかりだったかの辺りで、
他の作品は読み込めていなかったので、彼には申し訳ないことをしてしまったなと思っています。
次会うときまではもう少し読み込んでいたいですね。

文庫本になっていた『アズミ・ハルコは行方不明』は読了。
単行本の『かわいい結婚』『パリ行ったことないの』『さみしくなったら名前を呼んで』は、
先週近くの本屋でそれぞれ初版で置いてあり、高いなと躊躇いつつ、
結局一気買いしました(3冊で5,000円近かった……)。



読み終わったら、また感想書けたらいいなと思います。
もう日付が変わってしまいましたね。
明日はお仕事、うぅ。

ゴールデンウィークも終わり、祝日は海の日までお預けですか。
5月病を治す特効薬、誰か作ってくれませんかね?
たぶんノーベル賞もらえるよ。

 
| soemon | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
サッカー自体はそこまで大切じゃない
更新頻度を上げると嘯いておきながら、
前回の更新から2週間くらい経ってる!?

GWもゴロゴロしてるだけのダメ人間でしたしね。
はぁ。





そんなことはさておいて、私の愛読雑誌のひとつである、月刊少年マガジンにて、
『四月は君の嘘』で御馴染みの新川直司先生の新連載『さよなら私のクラマー』が始まりました。


 
ご存知の方もいらっしゃるかとは思うのですが、
新川先生は『さよならフットボール』というサッカーマンガを以前描かれており、
その際の主人公である女子中学生、恩田希が高校生となって、『さよなら私のクラマー』にも出演しております。

『さよなら私のクラマー』に関しましては、まだ一話ということもあり、
今後に期待としか言いようがなく、評価なんて出来やしませんので、
過去作について少し触れておこうかと思います。

『さよならフットボール』は、新装版で2巻完結という大変読みやすいものですが、
男性と女性の悲しいまでのフィジカルの差を通して、
サッカーと青春の案配が適度に描かれている印象の作品です。



あらすじをだらだら書くのは苦手なので、興味を持った方はググってみてください。
勝手にほどよい文章を転載したら怒られそうなのでね、ご了承ください。

作品を読んでみて、この作品が伝えたかったことは、「積み重ねた時間の尊さ」ではないかと思いました。
努力は裏切らないとまでは言いませんが、「費やした時間は決して無駄なんかじゃない」と、
作品全体で訴えてくるような造りになっています。

これは『四月は君の嘘』の根底にも流れており、
「積み重ねた意義」というものが、そこかしこに溢れていると感じます。
例えば、有馬公正のこれまでの生涯。
母のために弾き続けたピアノ、とあるきっかけで弾けなくなり遠回りした時間、
幼少時からの幼馴染たちとの繋がり、四月のある日、変なヴァイオリニストに出会ったこと。

どれもこれもが彼にとって恐らく意味のあった時間で、それらが存在したからこそ、
あのラストに集約されたのだと信じます。

他にも、個人的に印象的なのは9巻における、胡桃ヶ丘中学校の学祭もとい、
くる学祭の公正と相座凪の連弾「眠りの森の美女 薔薇のアダージョ/ワルツ」(チャイコフスキー)です。



決定的なのは、この演目の演奏中、凪のモノローグがこのようにあるからです。


2か月前なら
置いてけぼり だった

あの時間は 無駄じゃなかった

ピアノに 傾けた 時間が――
生きている



悩んで
わめいて
苦しんで
もがき続けた 数か月

何もかも報われる瞬間があるの




2か月でそうも大きく変わるものかと思いつつも、
中学生の2か月って大きいよなと思い直したり。

またこの部分はアニメで言うと第18話「心重ねる」にあたるのですが、
私的に一番魅力的な回で、ことここに至っては原作超えしてる気さえします。


で、『さよならフットボール』にも、こんなモノローグがございます。


私の意地は――
ムダじゃなかった

今――
生きている


どういった場面でどう使われているかは作品を読んでのお楽しみ。
(としておくと自分がすげー楽ちんです)

とまあ、同じ作者だなぁと感じさせる構造なんですよね。
人によってはその詩情をポエム(笑)とか貶めたりもするみたいですが、
(アニメの感想を覗いているとかなり散見された)
自分は全然いける、というか好きです。
ちゃんと言葉も吟味されてると思いますしね。


導入にしては長過ぎたと反省しつつ、ここでサッカーマンガの話に戻ります。


自分は子供の頃、少年野球をやっていたこともあり、
サッカーより野球のほうが断然詳しいし、プレーするのも好きなのですが、
あんまり野球マンガは読み込んでいません。

小学生のとき、地元の児童館に所蔵されていた『名門!第三野球部』を全巻楽しんで読んだ記憶がありますけど、
あれ異次元野球感ありますしね。天秤打法懐かしい。

『メジャー』は嫌いじゃないけど好きでもない
『ドカベン』ごめんなさい読んでません
『新約「巨人の星」花形』も異次元
『最強!都立あおい坂高校野球部』『 Be Blues!』のほうが好き
『ドラベース』はい異次元
『ダイヤのA』丁寧な感じするけど煮え切らない
『おおきく振りかぶって』甲子園いけなそう
『グラゼニ』俺が求める野球マンガじゃない

ぱっと思いつくのを並べたところ、完全に馬が合ってないというか、
これもう野球マンガより私に欠陥がある感じですね。

実際野球も見るよりもやってる方が遥かに好きですし、
無駄に思い入れがある分、客観的に読むことができないのかもしれません。


そこでサッカーマンガです。
ルールも分かるし、体育なんかでやってもそれなりに楽しかったし、無駄な思い入れもない。
気負わず読めるので野球よりサッカーのほうがマンガは好きな気がします。

特にオススメしたいのを2作挙げましょう。


まずこれ、
『1/11 じゅういちぶんのいち 』




この作品はサッカーを通して、安藤ソラと彼を取り巻く人々の生き様が描かれています。
正直に言ってしまえば、「サッカーを扱ったマンガであってサッカーマンガではない」。
あくまでも人間ドラマこそが、この作品の根幹であると感じます。

この作品に関しては以前とても簡単にではありますが、
感想を述べていたことがあるので、それに代えさせて頂きます。
完結した今でも、この感想に残した思いは変わっていないからです。


そしてもう一点ご紹介、
現在進行形で連載中である『アオアシ』です。



部活やプロリーグを扱ったサッカーマンガが溢れる中で、
今作はプロリーグの下部組織、Jユースに焦点を当てた作品です。

主人公や脇役のキャラ立ち、ヒロインの可愛らしさ、
Jユースという組織の存在意義、試合運びの巧みさ、
どこを切り取っても面白い。

上野直彦さんが取材と原案の協力をなさっているとのことですが、
どれだけ話作りに関われていらっしゃるのかいまいち掴めないのが気にかかる今日この頃。


そもそも作者の小林有吾先生の大ファンです私。
『てんまんアラカルト』から入って、こんな面白いグルメマンガ読んだことねぇと感心し、
デビュー作という『水の森』を涙ボロボロ流しながら読んで傑作判定を下し、
新作の『アオアシ』をコミックスで追っている今があります。

最近5巻が出たばかりですので是非読んで頂きたいですし、願わくば過去作も押さえて頂きたい。
4巻までに関しては短いながらも読書メーターに感想を寄せておりますので、
興味があったら覗いてやってください。


そんな感じで『さよなら私のクラマー』を読んで、書いておきたかったことを書き終えました。
満足満足。


あと、今日の内に山内マリコ先生について書いておきたいなぁと思っているので、
間に合えば載せます。無理だったらまた後日。


 
| soemon | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
こんな日も わるくないのかも。
昨日は新しく仙台に赴任された上司と新入社員お二人の歓迎会があり、
起きあけは、まあ気怠かったです。
ぬるま湯の中で体を動かしたときのような抵抗感が体全体に渡っていました。

とはいえ、ずっと布団で眠りこけていても、休日が台無しになるだけですので、
体に鞭打って、午前中はちょこまか片付け事をしました。

気付けば12時を回っており、慌てて家を飛び出ます。
ここで、盗んだバイクで走り出せればドラマのひとつも生まれたのかもしれませんが、
残念ながら通販で買ったママチャリです。

着いた先は近所のパン(洋菓子?)屋さん。
口コミサイトで調べるとなかなか評価が高い上に、
週に2日しか営業していないというので前々から気になっていたお店です。
12時開店とのことでその辺りを狙っていたのですが、実際着いたのは15分前後。

列ができており、前に6,7人程いらっしゃいます。
どうやらトレイとハングを持ってセルフというのではなく、
ケーキ屋さんみたいに、ショーケースの中から指定して包んでもらう形式のよう。

そしてこれが予想以上に長かった。
前に10人もいなかったのに結局買えたのは13時頃。
45分ぐらい並んでましたよ……まじで……。

充電のため家に置いてきたスマホに思いを馳せました。
文庫本一冊バッグに入れてて本当によかったです。ええ。

買ったのはチーズケーキとかスコーンとかカヌレとか。
家帰ってモシャモシャ食べました。
噂になるだけは、ありましたね。カヌレがすごく美味しかったです。


家で昼食を摂るやいなや、また自転車を漕いで、今度は仙台駅に向かいます。
着いた先はタワレコ仙台店(パルコ内)。

本日14時より、瀧川ありささんのリリイベ(インストアミニライブ・サイン会)が、
催されると最近知ったため、馳せ参じました。

また生で聴けるというので行って来ましたが、
やっぱり、いい。

どの人のどのライブに行っても思うことなんですが、
生で聴けるというのは幸せなことだなーって。

特にこういう距離が近いライブでは、映像越しではなく肉眼ではっきりと、
表情だとか仕草とかが見られることで、
より音に厚みが増すように感じられるから、好きです。

更に言えば、ペンライト振り回したり、モッシュがあったりするよりかは、
純粋に音が楽しめる、こういったイベントのほうが個人的には好みです。
コンサートみたいなイメージですかね、ゆったりと音に浸っていたい派です、私。

耳に心地よい4曲を拝聴したあと、サイン会でした。

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しっかし、あんないい曲作れて、歌も上手くって、器量もいいってズルいんじゃないですかね。
偏るのが人生って感じですかね。


普段の私ですとここらで満足して、書店回って早々に帰宅しそうなものですが、
今日はまだ、やっておきたい目的があるのでした。
というのも、以前、サクラノ詩の感想を載せた際にこんなことを残していました。



真琴がフェルナンド・ボテロの『猫』について触れていて、
そこの描写がすごくよかったなぁと。
(フェルディナンド・ボテロと作中では語られていましたが。「ディ」は誤りですかね?
美術関係には頗る疎いので判断がつかないのですが……)






なんというか、キャラクターが言わされているという感じがまるでなくて、
真琴自身の真摯な思いから出てきてる言葉のように感じられてすごくよかったです。

で、このアリスの庭と呼ばれる彫刻庭園がある美術館というのが、
調べたところ宮城県美術館のようなのです。

プライベートな話ですが、私、仕事の都合で仙台に来てもうそろそろ4年が経とうとしています。
これはもう行けってことじゃないかなと思うんですよね。

自転車で行けそうなくらいの距離なので、暇見て足を運んでこようかと思います。
幼少の真琴さんがぺちぺち触れたであろう猫を見るために。
(画像検索すると、本当に丸々としてて笑っちゃいます)




そう、覚えている方が一人でもいらっしゃったのか、甚だ疑問ではございましたが、
こう宣言してしまっていた以上、行かずに済ませる訳にもいきません。
何より、素直に、現物を見ておきたいという気持ちが強くございました。

昨年の終わり頃に開通したばかりの東西線を初めて利用し、行って来ました宮城県美術館。
レオナルド・ダ・ヴィンチの特別展がやっているらしく、本願の前に見学しました。

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軽い気持ちで窓口に向かったら綺麗なおねえさんに一般1,300円と告げられ内心怯んだのは秘密です。

けれども、金額以上の収穫だと感じられました。
普段あまりこういう場には行かないので、新鮮な気持ちで臨めたのが大きいのかもしれません。
昨今は入り口で音声ガイド用の機械が貸し出されてるんですね。
どっかの庭園の特集(テレビ)で同じようなのを見たことがありましたが、現物は初めて。

まあなくてもいいかと断って、手元のプログラムだけ持って見て回りました。
個人的には「レダと白鳥(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)」(ウフィツィ美術館)、
サルヴァトール・ローザの「戦闘」がよかったです。

前者は色彩が色鮮やかで素敵な印象があって惹かれたのと、
後者は戦闘を描いているのに、左端の樹々の緑がちょこんと、けれども活き活きと描かれているのが面白かったです。

絵にはとんと疎いので、勘弁してください。

で、粗方回った後、
外に出て、目的の、ボテロの猫に出会いました。

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ネットで見知っていたとはいえ、
いやぁ、想像以上にふてぶてしい 笑。
そして大きい。

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べたべた触ったり、調子こいてまたがったりしていたら、
通りかかったマダムにリアルに笑われました。
なんかいいもの見れましたわ、おほほほみたいな感じで。
もう笑うしかないですよねこっちも。
あははーって。

で、近くに座れそうな場所を探して、
来る前に買っていたカヌレを食べました。

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あぁ^〜心がぴょんぴょんするんじゃぁ^〜

カヌレ美味し。
念願も叶って、いい気分になっていました。

この気持ちは何だろう。
どんな言葉が当て嵌まるだろう。
考えて考えて、辿り着いた先にあったものは、
充足だな、という感慨でした。


てな感じで、常日頃インド(ア)人である私にしては珍しい日曜日でした。
さて、寝ますかねー。


サムネイル作成めんどかったんで画像どーんとそのまま載せました。
ご海容くださいますようお願い申し上げます。
 
| soemon | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
記憶は脆い
長々といいことっぽいこと書いたのに全部消えた。
IEはマジで駄目ですわ。

取り敢えず、今日から少しずつ書くようにしますみたいなことを、
頑張って書いてました。
消えたけど。


そんで今日は、本社の方からお電話があって、
泊りがけの出張で仙台来てるから夜一緒にどうよ、とのことだったので、
二つ返事で引き受けて、仕事をなるべく早めに片付けて駅前に向かいました。

そこには誘ってくれた方(弊社幹部ですが、分かりやすく先輩とします)と、
先輩の上司と取引先の方がいらっしゃって、
サシ飲みだと思っていただけにちょっくら面食らうも、すぐに思考を切り替えて臨みます。
念のためと思って内ポケットに忍ばせていた名刺入れが役に立ちました。
ここら辺、個人的に社会人的成長が垣間見えます。

この面子で一番下っ端で一番若いので、箸よりも口や手を動かす他なかったのですが、
終始あたたかい、快い雰囲気の、いい席でした。

その後、上司と取引先の方とは別れて、当初のとおり、別のお店で先輩とのサシ飲みと相成りました。

私は社会人5年目に入り、もう少ししたら仙台に来て丸4年が経ちます。
大学で過ごしたときよりも長い時間を、仙台で育んできているということになります。
先輩社員や同期、後輩らが皆一様に東京で勤務している最中、私一人が仙台への配属。

その4年間を、先輩は、よく評価してくれているふうでした。
リップサービスなのかもしれませんが、わざわざ自身の時間を割いて、面と向かって言ってくれただけでも、
報われたと思えます。

先輩は私とは全く違うセクションの方で、また管理部門の方でもないため、
言いたいことを言っても、それほど問題は起こらない(ご本人自らそう仰ってくれている)こともあって、
今後のこととかについて、色々と相談させてもらいました。

明日もあることから22時頃と少し早めの解散。
帰り道、気にかけてくれているありがたさから思わず涙腺が緩みました。
気を抜いたら泣いてしまいそうでしたが、なんとか堪えて速足で帰宅、といったところ。


かなり端折ってはいますが、何も残さないよりかは、
記憶の風化を遅らせられると思うので、よしとしましょう。

今日はもう寝て、明日もお仕事頑張ります。
それでは。
| soemon | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う- ネタバレ有り感想

*注意書き*

ネタばれしかしません。
未プレイの方はこちらのネタバレなしの簡易版感想をご覧ください。


また、私は名作と名高き「素晴らしき日々」も、
プロトタイプと呼べそうな「サクラノ詩 -The tear flows because of tenderness.-」も未プレイです。
そのため、他の方より事前知識が一段、いや数段劣ることを前以て述べておきたく存じます。
(『H2O』のみプレイ済みですが、もう何年も前、私がモラトリアム人間だった頃の話です)

逆に言えば、ある程度フラットなところでこの作品を鑑賞できるというか、
純粋に『サクラノ詩』を見つめることが出来るのではないかとも思っています。

あと、これは言い訳なのですが、この作品はかなり長めの仕様ですので、
なんでもかんでもひとつひとつ書いていくとなると終わりが見えないため、
私個人が思ったこと、その中でも、これだけは書いておきたいってことを優先して残します。
なので、零れ落ちていくものも多々あるかとは思いますが、
その点は何卒ご海容くださいますようお願い申し上げます。




OP O wende, wende deinen Lauf Im Tale blüht der Frühling auf!

主人公の父であり世界的画家でもある草薙健一郎の葬儀から話は始まります。
いやぁ、重くない? ヘヴィじゃないですか、出だしから。
こちとら世界的画家って言われても全く予備知識ないんだからさと思ってしまいましたし。
置いてけぼり感がすごく強いです。

主人公の直哉なんかも、十数億の遺産を出来心で放棄する回想が入ってきてなんだこれって。
一回目は断っておく日本人的奥ゆかしさみたいな出来心で突っ撥ねるとかありえないでしょ。
十数億ですよ? 十数億!
宝くじ当てても手に入らない額なのに!

その後、喉から手が出るほど欲しかったと悔いているし……。
なんなんこいつ……。わけ若林だわ……。
と、白けてしまう始末。

無論、本気にしてはいませんでしたけどね。
最低でも三回は確認するシナリオでは無かったか?
という直哉の心情が回想に挿入されていたため、
これには何か裏があり、シナリオと言うからには筋書があって、
寸劇なのだろうと察しはつきました。

しかしながら、これは後にも言及することにもなるのですが、
こちらにはその背景が明示されない以上、わけのわからん主人公像が拭えないのですよ。
続きが気になって前のめりになるより、なんだこれと一歩引いてしまう人の方が多いのでは。

まして最序盤です。
ここら一帯の不親切な設計から、つまらんと判じて、ドロップアウトしかねません。
少なくとも私は、結構危うかったと思います。
折角買ったのだし、といったケチくさい性根をしていなければ、きっと頓挫していたことでしょう。


で、まあ、直哉は天涯孤独となったことから、
親戚(でいいですよね?)の夏目藍先生から夏目家に来ないかと誘われ、ご厄介になることに。

その後、親友の夏目圭、彼の妹である夏目雫、美術部元部長の明石、
現部長の鳥谷真琴辺りの紹介を交えながら話は進む中、
六年前に転校した幼馴染の美少女が戻ってきたところでOPが流れます。




「櫻ノ詩」

いい曲ですね。はなさんの歌声もいい。
ニコ動で有名になるよりも前からずっとはなさんのことは好きだったので、
(forestという個人サークルで出してた「flower.」というCDを当時のM3で買ってたくらいには)
今尚こうやって活躍されているのを目に出来るのは嬉しいことですね。

電気外祭り行ってCD買いてぇなぁちくせう。
(ここを書いていたときはまだ年明け前でした……)


ともあれここまでがOPです。


I Frühlingsbeginn

春の始まり、です。

精神的妹を名乗る美少女こと氷川里奈、
その友人、川内野優美が現れたりしつつ、美術部勧誘を手伝わされる直哉。
その合間合間で生徒会の明石姉妹や変態外国人のトーマスなども出始めて、
主要キャラ勢がコメディチックに描かれ、掘り下げられていきます。

藍先生のお姉さんぶってるけどどこか抜けているところ(寝起きのエピソード)とか、
真琴さんの山盛り炊き込みご飯の辺りなんかは個人的に楽しめて、
段々とエンジンがかかってきたような感じ。

けれども、真琴の美術部勧誘の仕方にはちと辟易してしまったところがあります。
彼女には大いなる目的があるらしいことは分かるのに、
それが何なのかわからない以上、どうしてそこまで手を尽くすのか見えてこないんですよ。
だから素直に応援しづらいんですよね。

いやまあ、こんな美少女が困っているならね、
私みたいな、いいかっこうしいのチョロ男だったらホイホイ手を貸すのは道理ですがね。
そういう話じゃないですからね。

更に言えば、空回りだったと結果的に真琴自身が述べていますが、
明らかに勧誘方法に手落ちがあったというか、
あれだけ頭いい描写の鳥谷さんらしくないのですよ。

去年、圭の女装やら直哉のルックス(遺産?)目当てで釣り上げた人達は皆、
結局美術部自体には興味がなくて去っているのに、同じ手法を取るっていうのはどうかなと。
デッサン会もそれに類するものですしね(物でなく対象が美少女 with メイドコスのため)。

無論、部員数に応じて多くの部費、予算がもらえるというのはわかるんですが、
この場合、真琴の目的を鑑みるに、予算よりも才能・実力といった個人の資質、
そうでなくとも、美術活動に興味がなきゃ意味ないでしょと思うのは素人考えなのでしょうか。

作中で言及されていたとはいえ、やはり、同じ過ちを行うのは真琴らしからぬと思いますね。
うん、不自然です。全然合理的じゃない。

また川内野優美に手渡していた勧誘用のビラ、
CGを見る限り文章のみで全く惹きつけるものがないんですよね。



仮にも美術部なら目を惹くイラスト、挿絵、レイアウトなりの工夫を散りばめるべきでしょう。
あの如何にもWordで作りましたみたいなビラが許されるのは文学系の部くらいではないでしょうか。

この辺りのちぐはぐ感からまだ完全には浸りきれていない私がいましたね。
とはいえ、ビラの内容は文章に限るといった規定があったかもしれないですけども。


II Abend

元部長である明石の奇怪な行動、それらに対する解答が示されるのが二章の醍醐味でしょう。
つまり二章は、『櫻達の足跡』の話だと言い切ってもよいのではないかと思います。

明石はあまりにいい加減な言動が目立ち過ぎたため、
これはわざとなんだろうなというのはひしひしと感じていたのですが、
秘めた本願に対する在り方は想像以上にストイックで、何より妹思いのいいお兄ちゃんで驚きました。

ただこれも、明石がどんな人物なのか、
直哉や真琴はわかっているから勘繰ったりあれこれ出来るんでしょうが、
こっちは手持ちの情報が不足していて、変人にしか映らないんですよね。

直哉と明石が手を組んで成した一連の事件(雫√の過去回想)の辺りを知っていたら、
あるいはそれに似たような、彼の本質が垣間見えるエピソードが明かされていたならば、
こいつはやるときはやるんだよなって思いながら見られたと思うのです。

先程から挙げているように、個人的にこの作品を手放しで絶賛できない理由は、
ここに根差しているふうに感じられます。
全体的に漂う、敢えて情報を隠す、後出しにする空気感、これではないかと。

あらゆる情報が目の前に提示されていて、その上で、
では、どうしてこんなことをしたのでしょうか?といった形式ではないんですよね。

実はこういうことが過去にあって、実はこの人物はこういうやつで、というような、
伏せていたカードを突然ひっくり返されてようやく納得いく感じ。

優美の台詞でわかりやすいものがあります。



「だいたい分かってるんです……。
 あなたは里奈や私との関係みたいな過去を、数え切れないぐらい持っているのでしょう……」

このとおり、メインキャラの多くと直哉は深い繋がりと言っていい過去を有しています。
勿論直哉は記憶喪失ではないので、全て覚えています。
しかしながら、私たちプレイヤーは知らないのです。
知らないから、話についていけないときがある。
なんで君たちはそんなに直哉くんに期待を寄せるのかね、
そんなにぞっこんなのかねと疑問に思ってしまう。

なんでもかんでも明かされていなければならないなどと暴言を吐くつもりはございません。
けれど、この作品はそういった節が極端に強く、些か目に余るのですよ。
もしかしたら二周目を前提に作っているのかもしれませんが、それはそれでなぁ……。


とまぁダメだしっぽいことばかりを並べてしまいましたが、
もうこれ以上、そんなにマイナスなことを書くつもりはありません。

話を戻します。

『櫻達の足跡』についてですが、この制作時の熱い雰囲気は素晴らしかったと思います。
明石には明石の理由があって、入念な下準備を行い、制作に着手し、実際に成し得たわけですが、
一人ではできる作業ではとてもなく、それを可能にしたのは、櫻の芸術家たる直哉。
彼の描いた『櫻日狂想』、また彼自身が放つ因果交流の光に魅せられた、美術部一同。



ここの部分は、第六章の真琴さんが熱く語ってくれていますね。



答え合わせみたいな感じでしたが、本人の言うとおり、楽しかったのでしょうし、
言われるまでもなく痛いほど楽しさが伝わってくる、いいシーンでした。

ああいう熱い見せ場を、しっかり盛り上げてみせる手腕は流石の一言。
出来上がった際には、うおおおおおみたいなキモイ唸り声が実際に出ちゃいましたもの。
それくらい、よかった。とてもとてもよかったです。


III Olympia


御桜稟√です。

簡単に概要でも。

六年前、不慮の事故により、御桜家の屋敷で火災が発生した。
逃げ遅れた御桜母親は、幼い稟を外に投げ、逃がす選択を取る。
(何階の高さからと明確には出てきてなかったように思う)
それを直接受け止めた直哉は右腕を酷く痛め、今までのような絵は描けなくなってしまう。
母親が亡くなったこと、直哉の右腕を損ねてしまったこと、
それらがあまりにショックだったのだろう、彼女は記憶を閉ざしてしまった。
母が死んでいるにもかかわらず、ただの人形を病弱な母親だと思い込み、世話をするようになった。
見かねた御桜父はその人形を隠してしまい、
稟は母(人形)の死に目に会わせない父親に恨みを抱くこととなる。
父親は屋敷が焼失したこともあり、離れた地で暮らし、稟が思い出さないよう手を尽くす。
直哉も直哉で、自身が描けなくなったことから稟が思い出す可能性を潰すため、
敢えて、描けないのではなく、描かないと言い張ることにした。
六年間送られ続けてきた手紙を無視し続けた理由も、そこに起因する。
全てを思い出した稟はその身を再び投げてしまおうとするも、間一髪、直哉が壊れた右手で繋ぎ止める。
そして、言う。
「だったら、お前が俺の手を掴め!」
「俺が掴めない! 俺が握れない! お前の手が! 俺の手を掴め!!」
「それが責任ってもんだろ!!」
「俺の右手を奪ったと思うのは勝手だ。そう思いたければ思うがいいさ!
だが、だったら責任を取れ!!」
稟は直哉の右手を取って、一緒に歩く未来を選び取る。


この√では稟の身に起きた過去、凛と凛の父との確執、直哉が描かなくなった理由等が、
徐々に紐解かれていくこととなります。
けれど、お分かりの通り、根底の才能や草薙健一郎の弟子であったこと等は、稟は忘れてしまったままです。
あくまで直哉の目から見た真実でしかないのです。

そのため、この√の稟は、過去のあれこれを克服したところで、
エロマンガ蒐集を趣味とする、ちょっとエッチな美少女女子高生といった存在でしかなく、少々パンチが弱いです。



吹の「忘れてしまったものは、忘れさられるべきものだったからこそ、忘れているのかもしれません……」
という台詞が全体を通して、マッチするように思われます。

何故なら、傍目から言って、この√の稟は幸せそうだからです。
想い人の直哉とこの先を歩んでいくのだろうから。

「へたくそな二人の絵だけど、だけどとても幸せそうだから」

これも吹の台詞ですね。
といいますか、締めに結論持ってきちゃっていますね。
これは少々蛇足かも。判断は読者に委ねてあげるべきかもしれません。
わざわざ言葉にしなくても十分伝わってきているのだから。
柔道の受け身なんかも、わざわざ後半タネ明かししなくてもよかったんじゃないかなと。
あの落下の描写だけで、ああ、受け身を身に付けたかってそういうことかって腑に落ちると思うのですよ。

ともあれ、幸せそうで何よりです。
あと、稟と稟の母親が同じ萌花ちょこさんという声優で感心致しました。
母親の声、場面が場面であまり堪能できはしなかったのですが、艶があってよかったです。

それと、個人的にオランピアとなると『ホフマン物語』より、『砂男』の印象が強いです。
そこに何か理由があったんでしょうか、私にはわからなかったです……。





また、母親の名であることや、
元は人形であることをギャグの中でそれとなく仄めかしていたのは面白かったです。
あとでこれはそういう意味か! と一人納得しました。




III ZYPRESSEN

氷川里奈√です。

この√はもう殆ど規定的な路線といいますか、
里奈の好感度が初っ端からMAXなので、あまり触れることがございません。
(好感度に関しては殆どのキャラに言えるのでしょうが)

伯奇と中村義貞の伝奇をなぞらえながら、里奈と川内野優美の過去、
そして櫻の芸術家こと草薙直哉との邂逅なんかが語られていきます。

ここで明かされるのは、里奈が過去に大病を患わっていたこと
(薬名から癌? 抗癌剤の副作用により光線過敏症になる?)、
その死の匂いに魅せられた優美は、段々と牙を抜かれオオカミではなくなっていったこと。
そして御桜家焼失事件後の直哉は、街のあちこちで落書きしては、
思うように描けず、藻掻き、足掻いていたこと。
そんな最中、里奈と優美の公園の出会いに出くわし、
自身の絵に里奈が糸杉の絵を描き足していたことにも気付く。
そこにリレーのように引き継ぎ直哉もまた重ねていった。



「こんな狂った嵐の夜なら――そうだな――そろそろ花をつけてもいい時期だと思ってな」
なんて厨二台詞を残しながら、彼は里奈の死臭を取り払った。
彼女は言う、弟子にしてくださいと。
けれど直哉は断り続けるものだから、では精神的妹と名乗りましょうということになった。

好感度MAXも頷けますね。
多感なお年頃のときに、文字通り、人生を塗りかえられてしまっては。

直哉は「お前のために最後の絵を捧げたんだよ。他の誰でもない」
なんて格好いい台詞を伝えています。
なんだよこれもうプロポーズみたいなもんじゃんかよかっけぇなくっそ!

「恋は片道だけでも成立するが、恋愛は片道だけでは成立しない」
とも残されていらっしゃいますが、この、見返りを求めない姿勢、
いや、本当は見返りを期待しているのだろうけど、例え見返りがなくとも恋に、愛に殉じようという姿勢、
それはとても美しいものですよね。
これはいいなって思いました。



この√の二人も、幸せそうですね。
これからも噛みしめていくんでしょうね。




III PicaPica

鳥谷真琴√です。


個人的に作中で一番惹かれたヒロインです。
キャラデザ、性格、声、どれをとってもいい。
それだけに一番印象に残ったシナリオでもあります。

真琴は唯一、直哉と過去に何もなかったキャラクターであり、
他のヒロインとは一線を画すというか、むしろ一線を画さないといったところでしょうか。

ですから、段々と惹かれ合い、恋仲になっていく過程が実に自然で、
他√よりも作品に没入していきやすい作りだと感じました。

真琴には直哉と夏目圭の二人を、さらに先へ押し上げていくという野望があった。
そのために美術部をよりよいものにしようとしていたし、
何より、直哉に絵を描かせようと躍起になっていた。
そこに校長(鳥谷紗希)と中村麗華のいざこざが関わってきて、
元は中村性であったことや、圭が弟であること等が明るみになっていく。
そして最終的には渾身の一作を制作するも、
彼女の願いは叶えられず、そこには愛だけが残った。

とある方が、鳥谷紗希もとい校長は、草薙健一郎を動かせなかったが、
最終的にあの壁画を、追い求める美を手にしている。
そして子の真琴も途中までは同じ道を辿っているが、それには失敗した。
と言及されており、なるほどと思いました。

確かに、草薙健一郎自体に強い関心があり、
他の誰よりも彼を騙そうとして騙せなかったことが彼女の口から語られます。

けれど、幼少の藍に語ってみせた、



「彼が見るものと、私が見るものは違う。
そして、私はその事に誇りを持っている……」
という台詞は、私にはただの強がりには思えなかったのですよ。
真摯な、実直な思いが吐露されたのではないか、と。

だとするならば、彼女は愛を得られない代わりに、
信ずる美を手に入れた、と言い切るには若干の抵抗を感じます。

個人的には、校長にとって、彼女の生涯そのものが、ひとつの作品なのではないか、
そしてそこに彼女の信ずる美が残ればそれでいい、と思っているのではないだろうか。

草薙健一郎とともに学び同じものを見ようと夢想したこと、それができなかったこと、
自分の子を守ろうとしたこと、中村家を排斥して校長としていること、
全てをひっくるめて、彼女は誇りを持っているんじゃないかなと。

まあこれは憶測の域を出ないでしょう。
手持ちの情報は十分とは言い難いと思いますし、
それに私の、こうだったらいいなぁっていう願望めいたものも多分に混ざっている気がしますので。


対して、鳥谷真琴です。
理知的な言動が散見され、絵が描けて、陶芸の才があり、
勉強もできるし、バイトもこなして生計を立てているというすごい女子高生です。
作中でも器用という言葉はやたら出てきますが、本人は器用貧乏と捉えているよう。
この時点でもう、ある程度、自身の才覚の限界を受け入れているふうに見受けられます。

結果、彼女は念願の月には手が届きませんでした。
直哉は絵を描かなかったし、圭は描き切ることが出来なかった。
あれだけ時間を費やして、身を粉にして全てを擲っても、それでも届かなかった。

この結果は、極めて現実的で、正解なのでしょう。
しかしながら、個人的な気持ちというか、単なる我儘を言わせてもらえれば、
報われて欲しかったと、ただひたすらに思います。

そうしてしまうと、整合性が失われますし、ご都合主義になってしまうのでしょうがね。
例えば、作品とは違うところで、真琴の愛情なりで未来の形が変容していったらとか……。
うーんやはり私的な希望ですね、これは。

しかしながら、違う√では『蝶を夢む』を実際に描いてみせた訳ですしね。
そうすると真琴の苦労は何だったの、無駄だったの、徒労だったの、と思ってしまいます。

何も賞を取って、世界的芸術家になってくれというのでもなく、
ただ描いて欲しいという想いに、何故直哉は応えてくれないんだ、と思ってしまうんですよね。
単純に真琴さん好きの意見で、中立性を欠いているのでここまでにしときます。

ともあれ、真琴さん可愛過ぎますね。
ただあの簪みたいな髪飾りって校則違反にならないのでしょうか?
伝統ある私立高となると結構キツイ気がするんですが、まあ可愛いから何でもいいんですけど。

あとはあれですよ、入学早々、美術部を笑顔で掃除する真琴さん。



直哉の『櫻日狂想』に惚れこんで、作者に会えるのを楽しみにしてるあの感じ。
すごくいいですよね!

後姿の立ち絵も最高だし、
圭を看病してるときに見せた姉の顔もよかった。





最後に、話が幾分ずれるのですが、
真琴がフェルナンド・ボテロの『猫』について触れていて、
そこの描写がすごくよかったなぁと。
(フェルディナンド・ボテロと作中では語られていましたが。「ディ」は誤りですかね?
美術関係には頗る疎いので判断がつかないのですが……)







なんというか、キャラクターが言わされているという感じがまるでなくて、
真琴自身の真摯な思いから出てきてる言葉のように感じられてすごくよかったです。

で、このアリスの庭と呼ばれる彫刻庭園がある美術館というのが、
調べたところ宮城県美術館のようなのです。

プライベートな話ですが、私、仕事の都合で仙台に来てもうそろそろ4年が経とうとしています。
これはもう行けってことじゃないかなと思うんですよね。

自転車で行けそうなくらいの距離なので、暇見て足を運んでこようかと思います。
幼少の真琴さんがぺちぺち触れたであろう猫を見るために。
(画像検索すると、本当に丸々としてて笑っちゃいます)




III A Nice Derangement of Epitaphs

夏目雫√です。

ですが、この√はどちらかというと、
草薙健一郎と草薙直哉の、親子の物語としての側面が強いと感じます。

健一郎の葬儀から始まるこの作品ですが、
その始まりまでの直近の出来事が描かれていることになります。

健一郎は、中村家の悲願として生まれた伯奇である雫を買い取るために(守るために)、
これまで金を稼ぎ続けたことを病床にて明かし、その役目を直哉に託す。
直哉は託された役目を果たすため、明石とフリードマンの手を借り、
中村章一に贋作を売りつけることに決める。
右手が思うように機能しない直哉は蔵で独自の装置を用いながら、
『櫻六相図』を完成させ、見事、雫を取り戻すことに成功する。

大まかな流れはこんな感じだと思うのですが、
まず気になる点として、伯奇の能力って、そんなに有用なのかなってのがあります。
能力の良し悪し如何にかかわらず、伯奇そのものが繁栄・成功の象徴なのかもしれませんが(座敷童的な)、
現実的な目線で考えると、どうしても、そこまでの価値はないように思えてくるんですよね。
それだけ今の中村家の目が曇っている、落ちぶれているということなのでしょうか。

また、唯一まともに機能していた思われる、稟の絵画の才能を呑む場面。
「母親をよみがえらせたいという夢」を呑み込んだというのは分かるのですが、
それで記憶と才能を丸々抜き取るっていうのは、都合が良過ぎるというか、
物語の要請に対して、キャラクターが動かされてしまった印象を受けます。

そもそも千年桜の共鳴といったものが、
どういったものにどのような影響を与えるのものなのか、明確に定義されてはいないようだったので、
どうとでも取れてしまうし、どうとでも結び付けられてしまう印象を抱きました。
伯奇の伝奇が根底にあるのなら、不遇故結ばれない二人に味方するだとか、
ある程度限定されたルールがあるべきだったのではないかと思います。

そんな雫の過去やらがあって、今の雫に繋がるのですが、
直哉が雫をちゃんと認識したのは、物語の始まる数カ月前くらいなのですよね。
思ったより存外関わりが薄く、直哉のあの如何にも旧知のような接し方からはやや違和感がありました。

また、稟に心を与えられたから、直哉への想いが強いという描写は、なるほどと思いましたが、
じゃあ雫ってなんなの、稟のコピーでしかないの、代替品なのって思ってしまう自分もいて、
ここは純粋に、雫から見た直哉だけで、直哉に惚れて欲しかったかもと思ったりもします。
ただ、これは私の好みの問題だと思うので強くは言えませんね。

正直、先にも述べましたが、この√は『櫻六相図』に纏わる、
草薙親子の物語に全てを持っていかれていると思います。

これまで練習こそ続けていたものの、ずっと作品を作らずにいた直哉が、
父の意志を継いで、『櫻六相図』を描き切る。
本人は贋作と言い張るものの、その作品を見た誰もが、そんなことは思いもしない。
それは健一郎も同じ。
だから彼はそこに自身の銘を刻む。墓碑銘として。



口ではなんやかんやと言いながらも、
心のどこかでは認め合っている描写が作中にはちらほらとあって、
そしてここで全てが結実するのですよ。

今作品でも屈指の名シーンではないでしょうか。
これは間違いなく直哉が一つの壁を乗り越えた瞬間であり、
それを齎したのは、父との訣別だったというのは、ドラマがありますよね。
健一郎が『横たわる櫻』を完成させたのが、直哉の母、水菜の死があったからというのも、
実に因縁めいていて、心揺さ振られるものがありました。


IV What is mind? No matter. What is matter? Never mind.

草薙健一郎の過去回想です。
中村水菜√とも取れます。

健一郎は病床に横になりながら、昔の教え子であった美術部顧問の若田先生に、
水菜との馴れ初め、中村家とのいざこざを語ってみせる。

夏目家の屋敷は伯奇を生み出すそうと、中村の血を色濃くするために、
妾の妾をつくっていた屋敷であった。
その妾の一人である水菜に出会った瞬間から好きになってしまった健一郎は、
彼女を救うべく、中村家に立ち向かう。
祖母の夏目琴子の力を借りて、オランピアの模写を十億で売りつけるも、
水菜が交渉の際、駆け引きを乱してしまったがため、交渉が拗れ、
健一郎と水菜は駆け落ち同然で姿をくらませる。
そんな昔話を訊かせた後、地球の裏側で買ったというウイスキーを開け、
若田と一緒に祝杯をあげる。

こちらは回想なので、あまり深く考えず読んでいました。
草薙家と中村家の抗争みたいな話は出ていたと思いますが、
それにしてはそこまで大きな事件ではなく、こじんまりな感がありました。
あくまで印象ですけどね。

水菜がどんな人物で、健一郎とどうあったのかがきっちり描かれていたのは、
知りたがりの性分としては個人的に喜ばしいことでした。



H2Oのはやみに似てますよね、立ち絵とか。

それだけに、母親としての水菜も見てみたかったなという気がします。
単純に対比としても興味深く、また、マザコンを自称する直哉の前では、
どんな顔をしていたのかなって。気になりますね。



あと、幼少期の藍先生可愛すぎませんかね。
もうあからさまに狙っててあざといくらいなんですが、だが、それがいい。



V The Happy Prince and Other Tales.

夏目藍√です。

この√がVIへ続くのだから、正史と捉えるべきなんでしょうね。

直哉は圭の望む、二人で世界的芸術家になろうという夢を、
最早約束とも呼べるものを叶えるため、ムーア展に照準を当て、制作を開始する。
その過程で長山香奈との語らいや稟の才能を受け継ぐ吹との勝負を経て、
直哉はついに渾身の一作、『蝶を夢む』を完成させる。
しかしながら、圭の『向日葵』がより評価され、受賞と相成る。

だけならまだ話は簡単だったのですが、突然の交通事故により圭が死亡。
そのショックにより雫は伯奇としての力が制御できなくなり、
吸い取った絵画の才能が稟の元へ戻り、稟が大賞を受賞するという運び。

急でしたよね、これは。
まさかこのタイミングで死亡事故かよって思ってしまいましたけど、
そういうことは確かに世の中ザラにあったりするものなので、
そのことには口が挟めません。

タイトルの通り、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』が下地になっているようです。
直哉を王子とするなら、圭はツバメで、王子の頂きまで届こうと必死になっていたら、
死んでしまったというなんとも切ない話です。

直哉も直哉で、圭が謳う「二人で世界的芸術家になろう」という夢を、
実は胸の奥底で抱えていて、圭が待っていてくれていることに甘えていた。
けれど、自身の最高傑作は圭に届かないまま、まして見せることも出来ずに終わってしまった。

彼は、洩らす。
「俺は、俺は間違っていたのか!?」と。



稟を受け止めるとき、あるいはそれ以外のときに右手を使わなければよかったのか、
はたまた、稟のことは気にせず描くことを辞めなければよかったのか。
そうすれば待たせることはしなかった、と。

これらはタラレバ話であって、どうしようもないことなんでしょうが、
確かに直哉がそのような選択を取らなければ、違った未来になっていたかもしれません。
しかしながら、そのような状況で人に手を差し伸べないような普通の人間が、
果たして櫻の芸術家として存在できるでしょうか。
因果交流の光としてあられるものでしょうか。

結局のところ、私は無理だと思うんですよね。
直哉が直哉である以上、何度ループしてやり直すことになっても、
そのときが来たら、直哉は同じように助けてしまうんじゃないかなって思うんです。
そうでなくて、何が櫻の芸術家かって思いますからね。



VI 櫻の森の下を歩む

事が終わって、十年後。
直哉は弓張学院で美術の講師をしていた。
そんなある日、『櫻達の足跡』の上からラクガキをされる。
首謀者はあの長山香奈で、彼女は芸術家集団ブルバギという団体の主宰となっていたのである。
この行為は草薙健一郎越えを果たす意味合いがあるという。
(正直これは的外れな行為に思えてならないが)
とはいえ、父の遺作を、仲間と作った掛け替えのない作品をおいそれとそのままにはしておけない。
直哉はステンドグラスに見立てたセロハンを、日光を通して映し出し、上書きするという手法で守った。
また、藍と校長の取り決め通り、直哉は翌年度から正規の採用となることになる。

大まかにはこんな感じでしょうか。
かなり省いてしまってもいますが。体感では結構短めです。
サクサク進むのも大きいかもしれません。

この√で稟は世界的芸術家として活躍しており、世界を股にかけて仕事をしているといった感じです。
世間一般からすれば、世界的名誉を若くして手にした美女であり、
人生の勝ち組のようにしか見えないことでしょう。

しかしながら、プレイヤーからすれば、彼女は少しも幸せそうには見えないのです。
Olympiaのような姿とはまるで違う。
美の神様に呪われてしまっているかのよう。

それでも彼女が表舞台に立ち続け、第一線で活躍しているのは、
作中でも触れていたように、直哉の右腕への贖罪という側面と、
圭が亡くなったことから、圭の代わりに直哉という天才を引き上げようとしているからだと思われます。

まだ才能を失う前の幼き稟は、直哉と一緒に絵を描くことをとても楽しみにしていると雫に語ったこともあり、
それがひとつの支えとなっていても不思議はないのかなと解釈しています。

にも関わらず、直哉は弓張でしがない美術講師をしているというのも、
なかなか身につまされるものがありますね。

この十年、彼が全く何もしていなかった訳でもないのでしょうが、
特段作品の発表もせず、燻っていたような印象を受けました。
『蝶を夢む』のような作品が描けたのだから、圭の死を受け容れて、
彼の望んだ高みまで登っていくっていうのが、自然かなと思ったのですがね。

話が戻ってしまいますが、この稟は、「才能の奴隷」といった言葉が似合うと感じました。
『スパイラル〜推理の絆〜4 幸福の終わり、終りの幸福』という、スパイラルというマンガの小説版(その4巻)を、
私は中学生の頃から愛読していたのですが、そこにあった「才能の奴隷」という概念が合うかなぁと。

大きな舞台があって、その舞台は自分にしか務まらないとしたら、その者はどんな気持ちになるだろうか。
才能の使い道が選べない、嫌でもその舞台を務めなければならない、死ぬまで才能に縛られる。
それは「才能の奴隷」だ。自分の才能に人生を焼かれ続ける。何て哀れな存在だろう。

ちゃんとした引用ではないのですが(一部省きました)こういったことが作中に描かれており、
これは稟にも全部が全部でないにしろ、ところどころ当てはまるんじゃないかなと思うんですよね。

そしてそれは直哉も同じ。
あれだけの才がある以上、与えられた者はそれを全うしてみせなければならない。
才能が与えられなかった者の分まで、しっかりと。

これは才能がない側の僻みのようなものなんですが、でも、それを分かっていて尚、
翼ある者には空高く飛んでいて欲しいと思うんですよね。

『ましろのおと』という三味線を扱ったマンガでは、
凡人の音であることを受け容れるのに何年もかかったと洩らすキャラに、こんな台詞があります。

「才能ある」「天才」と謳われる奴が羨ましかったよ
だって そうだろう?
能力の奴隷になれるんだ

天才には天才の苦悩があるんでしょうが、ない者にはない者の苦悩があるんですよね。
鳥谷真琴の√でもそうだったように、届かない者には届かない世界が存在するのだと。
長山香奈が直哉にしきりに訴えていたことも思い返されますしね。
なんでまあ、天才と才能とが両想いでめでたしめでたしとはいかないのでしょうか。


他には、あの美の神様なり、直哉側の弱い神というのは、
学のない私にはいまいち理解しきれませんでした。

稟の言う美の神というのは、絶対的な、揺るぎのない強固な美そのもので、
変わらない尺度としてずっと横たわっているもの。
対して直哉の弱い神というのは、そこにあると信ずるならそこにあるもの。
夏目琴子が雫に対して心というものを説いた、あの話と同じ。
そこに心があると思うなら、そこに美があると思うなら、
そこには心があって、美がある。




というふうに私は考えたんですけど、大丈夫ですかね?
周りで『サクラノ詩』やってる人いなくてですね、まともに語らうこともできてないんですよ、これが。

そう言えば長山香奈や、VIの真琴もこんなふうに言ってましたよね。





「例外なんてあるもんですか! 私が信じたもんが正義よ! 私が信じたものなのだから、それでいいの!」
これも同義なんじゃないかなって個人的には思うんですよね。

で、触れてこなかったVIのヒロイン勢。
概ねみなさん可愛いですね。これは『サクラノ刻』が楽しみでなりません。



守りたい、この笑顔。

とりわけルリヲさんのチャラさと、川内野鈴奈の優等生感、どっちも好きです。
このコンビ、姉同士よりずっと好きなんですよね。
優美さんは正直別ゲームじゃねーかってくらいぶっ飛んだヒロインなのでね、はい。


あとは片貝さんかな。
直哉の最後の辺りもそうなんですが、彼らは今の私とかなり年齢が近いキャラクターなので、
色々と、言葉ひとつひとつが沁みてきます。








と、まあ結構書き込みましたわ。
ぶっちゃけ、プレイしてから更に日が経ってしまい、感想がちぐはぐで悔しいのですが、
取り敢えずネットに上げておきます。

そうすれば暇なときちらちら見て、ここ直そう、あそこ加筆しようとか出来そうですし。
このままPCの片隅に眠らせておくだけだと流石に書いた自分が報われない気がしますので。

てな訳で、あくまでプロトタイプだと思って頂けたら幸いです。
近い内、恐らく修正します。

ではでは。
| soemon | 02:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2015年12月14日のつぶやき
00:26
RT @yu1096: 女性陣ー!これに黒タイツだけでいいんだぞ女性陣ー! https://t.co/tB87tjDxHK
00:35
平山夢明の『他人事』の文庫を読んでたら解説が冨樫義博で、滅茶苦茶褒めてたけど、納得せざるをえないほどすげぇ面白いし、実に富樫好みのグロさだと思いました。
| soemon | 03:01 | - | - | pookmark |

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